癌との共存を目指しています。
現代語訳は、「徒然草(二)全訳注」(三木紀人著、講談社学術文庫)をベースにして、僕が自分の解釈を加え、訳しました。

徒然草、第七十四段 蟻のごとくに集まりて

蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。

身を養ひて、何事をか待つ。期する処、ただ、老と死とにあり。その来る事速かにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理(ことわり)を知らねばなり。

(現代語訳)蟻の如く集まって、東西に急ぎ、南北に走る。身分の高い人もいる、低い人もいる。年を取った人もいる、若い人もいる。それぞれ、行く所と帰る家を持っている。日が暮れれば寝、朝になると起きる。このような生の営みは何事だろうか。長く生きられる事を願い、利益を求め、それらは留まるところを知らない。

身体を大事にして、何を待つというのか。待ち受けるのは、ただ、老いと死のみだ。その来る事は速やかで、一時も留まる事がない。これを待つ間、何の楽しみがあるのだろうか。惑える者は、これを恐れない。彼らは名誉や利益に溺れて、死が近い事をかえりみないからである。愚かな人は、これ(死が近い事)を悲しむ。この世にずっと居たいと思って(この世にずっと居られると思って、の方がしっくり来る)、変化の理(どんな生き物もこの世にずっと居ることは出来ないという事)を知らないからだ。(現代語訳終わり)

最近、徒然草を読んでいる(もちろん、現代語訳と併せて)。この段の最後の一文「常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。」を読んで、はっとした。この世にずっと居たいと思って、もしくは居られると思って、だけど、自分は、いずれ居なくなる・・・そうなんだ、と改めて思った。

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【2011/10/31 20:28】 | 読書
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はじめまして。
rena
はじめてコメントさせていただきます。

のっぽさんのお人柄が伝わってくるような文章がとても好きです。私の勤務先の病院にものっぽさんのようなDr.がいたらいいのになぁと思います。

徒然草ですが、高校生の時以来読んでいません。今読むと当時より学ぶことがたくさんあるのでしょうね。

確かに、自分はいずれ居なくなります。ただ死を待つのではなく毎日を淡々と、でも着実に生きていきたいです。
現実は仕事に追われストレスの溜まる日々ですが。いいストレス解消法を模索中です。


こちらこそ、初めまして。
のっぽ187
rena さん

こちらこそ、初めまして。

文章、ほめて頂けて、とても嬉しいです。

僕も職場では効率よく仕事をすることを第一に考えているので、ブログを書いている時と職場では、別な精神状態にあるのではないか、と思います。それでも、そう言って頂けると、とても嬉しいです。

高校生の頃、古文は、ちんぷんかんぷんでした。ただ、最近、現代語訳とあわせて読むと、はっとする箇所がところどころあって、「こんな内容だったんだ。」と思うことが結構あります。

この段を読んで、色んなことが頭をよぎりましたが、一つには、今の職場や以前、勤めていた職場の人のこと(経営する側の人のことや地位を得た人のこと)が頭をよぎりました。

>現実は仕事に追われストレスの溜まる日々ですが。

仕事を一所懸命することは、とても価値があることだ、と思います。ただ、徒然草を読んでいると、著者の吉田兼好は、「自分の時間は限られている。だから、自分を大事にした方がいいよ。」と言っているのではないか、と思います。(自分を大事にする、イコール、世をのがれる、という感覚には、ある程度、年を重ねないと、ならないかな、と思いますが。それに、僕らは、食べて行くために働かないといけないですし。)

灯火親しむべし
カノン
のっぽ先生は、「ひとりともしびのもとに」(第十三段)のご心境だったのですね。

ひとりともしびのもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

今の時代は、楽しく場を盛り上げたり、(広く浅く)友達をたくさん作るといったコミュニケーション能力が、過大に評価されることが多いように感じます。
でも、兼好法師は、ひとりで深く考えることの価値を、いろいろな段で説いていますね。

のっぽ先生がご紹介くださいました第七十四段に続く、第七十五段「つれづれわぶる人は」にも、俗世を離れて心を安らかにすることの大切さが書かれています。

いまだまことの道を知らずとも、縁を離れて身を静かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。
(まだ仏の道を知らなくても、俗界の環境から脱して身を静かにし、世事に関係しないで心を安らかにすることこそ、まず楽しむともいうことができよう。)

『ただひとりある』、ここに兼好の理想があります。
俗事を離れて、心を安定させれば、その状態から、他にとらわれない自己本来の心に基づいた判断や行動や生き方が可能になってくる、ということだそうです。

今日は、依頼された相続税申告の提出期限で、やっと提出が終わりました。でも、土壇場で揉めて、「もっともらえる財産があったはずなのに、騙し討ちにあったみたい」(by 院長夫人)といった言葉まで聞かされて、最近凹んでいました。
そんな中で読んだ、第百四十段「身死して財残ることは」は、なんだか現状にドンピシャで、おもしろくて笑ってしまいました。

「われこそ得め。」など言ふものどもありて、跡に争ひたる、さま悪し。
(「(それは)当然私がもらうべきだ。」などという人々がいて、死後に争っているのは、みっともない。)

日常生活に必要な品以外はなにも持たないで暮らしたいものだ、という兼好法師の好む生き方は、徒然草を読む前にもかかわらず、のっぽ先生の身の処し方と合致していて、すごいなあ、と思います。

久々に、高校と時の古文の参考書を繙き、あちこち読むうちに、長い書き込みになってしまいました。
のっぽ先生は、なぜ急に徒然草を読んでみようと思われたのでしょうか。

そうですね、のっぽ先生に申し上げたいことと言いますと、「もうちょっと、俗世に戻っておいでよ。」でしょうか(笑)。

最近の自分
のっぽ187
カノンさん

最近、読んだ本の中では、「人生を〈半分〉降りる、哲学的生き方のすすめ」(中島義道著、筑摩書房)が当たりでした。この本には、徒然草からの引用が幾つかあり、それを読んで、「ああ、徒然草って、こんな事が書いてあったんだ。」と思いました。それで、徒然草(一)~(四)全訳注を買いました。(古本で、ですが。)

もともと、自分がいなくなった後には、何も残らないのが良い、という考えだったので、兼好法師の言っている事は、僕にとって、とてもしっくり来るものでした。

●●●

最近、僕は、自分がとても感情的である事に気付きました。ほぼ毎日、どちらかの親に対して腹を立てています。少なくとも、現行の生活では、一人でいる時間が、僕には必要です。(親と一緒にいるのは、食事の時だけで、それ以外の時は、一人で自宅にいるのですが。)

●●●  

ブログを書くに当たって、勤務先の事は、なかなか書きにくいですし(自分がどこの誰であるか知られる可能性は十分あると考えています)、意見が分かれるような事も書きにくいなあ、と考えています。(株式投資の事とか。)

ある事にとても詳しいので、それについて、ブログに記事を書いて、皆に知らせる、といった事も僕には出来ないですし、「気楽に書ける事が、なかなか、ないな。」というのが正直なところです。

あと、職場にいるか、自宅もしくは実家にいるか、といった生活をしているので、どこどこへ行った、といった記事も書けないです。(そういう生活を望んで、しているのですが。)

●●●

もともと、一つひとつの事を(一人で)じっくり考えるのが好きなので、こういったライフスタイルになりました。

●●●

自分のブログを読み返しますと、昨年は、10月下旬に、うつ的(depressive)になっています。日照時間が短くなる事で、気分に何らかの影響が出ているのかも知れません。

●●●

相続の話で、いつも思うのは、「もともと、自分のお金でないのだから、それに対して、腹を立てるのは、どうかなあ。」という事です。

そう考えると、親が子に残すべきものは、教育なのでしょう。個人的には、学歴や資格といった狭い範囲のものだけではなく、世間知を伝える事が出来れば理想的だと思うのですが。

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この記事へのコメント
はじめまして。
はじめてコメントさせていただきます。

のっぽさんのお人柄が伝わってくるような文章がとても好きです。私の勤務先の病院にものっぽさんのようなDr.がいたらいいのになぁと思います。

徒然草ですが、高校生の時以来読んでいません。今読むと当時より学ぶことがたくさんあるのでしょうね。

確かに、自分はいずれ居なくなります。ただ死を待つのではなく毎日を淡々と、でも着実に生きていきたいです。
現実は仕事に追われストレスの溜まる日々ですが。いいストレス解消法を模索中です。
2011/11/01(Tue) 23:16 | URL  | rena #-[ 編集]
こちらこそ、初めまして。
rena さん

こちらこそ、初めまして。

文章、ほめて頂けて、とても嬉しいです。

僕も職場では効率よく仕事をすることを第一に考えているので、ブログを書いている時と職場では、別な精神状態にあるのではないか、と思います。それでも、そう言って頂けると、とても嬉しいです。

高校生の頃、古文は、ちんぷんかんぷんでした。ただ、最近、現代語訳とあわせて読むと、はっとする箇所がところどころあって、「こんな内容だったんだ。」と思うことが結構あります。

この段を読んで、色んなことが頭をよぎりましたが、一つには、今の職場や以前、勤めていた職場の人のこと(経営する側の人のことや地位を得た人のこと)が頭をよぎりました。

>現実は仕事に追われストレスの溜まる日々ですが。

仕事を一所懸命することは、とても価値があることだ、と思います。ただ、徒然草を読んでいると、著者の吉田兼好は、「自分の時間は限られている。だから、自分を大事にした方がいいよ。」と言っているのではないか、と思います。(自分を大事にする、イコール、世をのがれる、という感覚には、ある程度、年を重ねないと、ならないかな、と思いますが。それに、僕らは、食べて行くために働かないといけないですし。)
2011/11/02(Wed) 14:51 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
灯火親しむべし
のっぽ先生は、「ひとりともしびのもとに」(第十三段)のご心境だったのですね。

ひとりともしびのもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

今の時代は、楽しく場を盛り上げたり、(広く浅く)友達をたくさん作るといったコミュニケーション能力が、過大に評価されることが多いように感じます。
でも、兼好法師は、ひとりで深く考えることの価値を、いろいろな段で説いていますね。

のっぽ先生がご紹介くださいました第七十四段に続く、第七十五段「つれづれわぶる人は」にも、俗世を離れて心を安らかにすることの大切さが書かれています。

いまだまことの道を知らずとも、縁を離れて身を静かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。
(まだ仏の道を知らなくても、俗界の環境から脱して身を静かにし、世事に関係しないで心を安らかにすることこそ、まず楽しむともいうことができよう。)

『ただひとりある』、ここに兼好の理想があります。
俗事を離れて、心を安定させれば、その状態から、他にとらわれない自己本来の心に基づいた判断や行動や生き方が可能になってくる、ということだそうです。

今日は、依頼された相続税申告の提出期限で、やっと提出が終わりました。でも、土壇場で揉めて、「もっともらえる財産があったはずなのに、騙し討ちにあったみたい」(by 院長夫人)といった言葉まで聞かされて、最近凹んでいました。
そんな中で読んだ、第百四十段「身死して財残ることは」は、なんだか現状にドンピシャで、おもしろくて笑ってしまいました。

「われこそ得め。」など言ふものどもありて、跡に争ひたる、さま悪し。
(「(それは)当然私がもらうべきだ。」などという人々がいて、死後に争っているのは、みっともない。)

日常生活に必要な品以外はなにも持たないで暮らしたいものだ、という兼好法師の好む生き方は、徒然草を読む前にもかかわらず、のっぽ先生の身の処し方と合致していて、すごいなあ、と思います。

久々に、高校と時の古文の参考書を繙き、あちこち読むうちに、長い書き込みになってしまいました。
のっぽ先生は、なぜ急に徒然草を読んでみようと思われたのでしょうか。

そうですね、のっぽ先生に申し上げたいことと言いますと、「もうちょっと、俗世に戻っておいでよ。」でしょうか(笑)。
2011/11/02(Wed) 23:57 | URL  | カノン #-[ 編集]
最近の自分
カノンさん

最近、読んだ本の中では、「人生を〈半分〉降りる、哲学的生き方のすすめ」(中島義道著、筑摩書房)が当たりでした。この本には、徒然草からの引用が幾つかあり、それを読んで、「ああ、徒然草って、こんな事が書いてあったんだ。」と思いました。それで、徒然草(一)~(四)全訳注を買いました。(古本で、ですが。)

もともと、自分がいなくなった後には、何も残らないのが良い、という考えだったので、兼好法師の言っている事は、僕にとって、とてもしっくり来るものでした。

●●●

最近、僕は、自分がとても感情的である事に気付きました。ほぼ毎日、どちらかの親に対して腹を立てています。少なくとも、現行の生活では、一人でいる時間が、僕には必要です。(親と一緒にいるのは、食事の時だけで、それ以外の時は、一人で自宅にいるのですが。)

●●●  

ブログを書くに当たって、勤務先の事は、なかなか書きにくいですし(自分がどこの誰であるか知られる可能性は十分あると考えています)、意見が分かれるような事も書きにくいなあ、と考えています。(株式投資の事とか。)

ある事にとても詳しいので、それについて、ブログに記事を書いて、皆に知らせる、といった事も僕には出来ないですし、「気楽に書ける事が、なかなか、ないな。」というのが正直なところです。

あと、職場にいるか、自宅もしくは実家にいるか、といった生活をしているので、どこどこへ行った、といった記事も書けないです。(そういう生活を望んで、しているのですが。)

●●●

もともと、一つひとつの事を(一人で)じっくり考えるのが好きなので、こういったライフスタイルになりました。

●●●

自分のブログを読み返しますと、昨年は、10月下旬に、うつ的(depressive)になっています。日照時間が短くなる事で、気分に何らかの影響が出ているのかも知れません。

●●●

相続の話で、いつも思うのは、「もともと、自分のお金でないのだから、それに対して、腹を立てるのは、どうかなあ。」という事です。

そう考えると、親が子に残すべきものは、教育なのでしょう。個人的には、学歴や資格といった狭い範囲のものだけではなく、世間知を伝える事が出来れば理想的だと思うのですが。
2011/11/04(Fri) 02:27 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
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2011/11/07(Mon) 12:07 |   |  #[ 編集]
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