癌との共存を目指しています。
放火犯人を消火活動に貢献と表彰する行為だを読んで、幾つかの事が頭をよぎった。

①僕は、日本対がん協会が、がん患者に対し、いいことをするところだと思っていた。でも、違った。100mSv以下はまったくがんの心配はない、という発言は、結果として、がんになる人を増やしてしまう可能性がある、拙い発言だと思う。そう言った人を表彰しているのだから、日本対がん協会は、「偽者」だと思う。

なんて、偉そうなことを書いたが、対がん協会という名前だけで、「いいことをするところだ。」と早合点していた自分の浅はかさに反省。(どうして、僕は、こんなに騙され易いんだろう。)

②名前を出していると、もっと言うと、名前が通っていると、発言が制限されるのかも知れない。この場合、そういった発言を、ご自身の判断で、しないようにしているのかも知れない。

経済的な自立の必要性を改めて感じた。また、名前を出して活動することの難しさを同時に感じた。

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【2011/09/03 21:50】 | 思ったこと
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岸本葉子さんのコメント
カノン
のっぽ先生が、ご紹介くださった記事を拝見しました。帯津先生の時もそうだったのですが、私は自分の中で、一度【素晴らしい人】の括りに入れてしまうと、なかなかその後を検証することなく、過ごしてしまうのですが、この記事のブロガーさんは、とても透徹した目で、物事をご覧になっていらっしゃるところが、すごいと思います。

ただ、私は以前、岸本さんが産經新聞に寄せたコメントを、読んだ記憶があったものですから、ネットで探してみました。
のっぽ先生が、②に書いていらっしゃることが、もし岸本さんのことを、念頭に置いておられることでしたら、当たっているなあ、と思いました。

引用が少し長くなってしまって、申し訳ないのですが、私が下手に要約してしまいますと、誤解を招きかねないので、全文を記載させていただきます。

【被災地の皆さんへ】
エッセイスト・岸本葉子さん 被災地からの言葉受け止める

被災地で過酷な状況にある方に、東京にいる私はどんな言葉を送れるか。自問しています。

地震と津波でかけがえのない人を失い、生活の基盤を破壊された方に、掛ける言葉を持ち得るのか。原発事故で家や土地を、生計の手段やコミュニティーまで奪われた方に、そこで作られた電気を使ってきた人間がものを言うのは、許されないのでは。そう思い、声を出せずにいます。

震災からすぐは、被災地の方々の強さ、勇気、助け合いの精神に頭を垂れるばかりでした。自分が受け取りたいメッセージだけを受け取っていたと、今振り返って思います。計画停電の混乱や放射能汚染の不安で動揺しそうな自分に「被災地の人に恥ずかしくないように行動しなければ」と言い聞かせ、心の支えとしていました。

でも、それは間違っていました。被災地の方の怒り、苦しみ、悔しさ、抗議。弱い自分が聞くのに耐えられないと思ったそれらの声にも、耳を傾けます。私のすべきは、言葉を発することではなく、被災地からのどんな言葉も受け止めることでした。

そこから始めます。そして自分に何ができるかを問い続けます。私の今言える、精いっぱいのことです。(終わり)

私は、岸本さんの沈黙が、単に原発の肯定・容認ではない、と信じたいと思っています。
のっぽ先生がコメントしづらい内容で、申し訳ありません。



僕が新聞にコラムを書いていたら
のっぽ187
カノンさん

僕が、新聞にコラムを書いていたら、その新聞社の上層部の意向を窺いながら、コラムを書くと思います。

別に仕事を持っていて、そこからの収入が主であれば、思い切ったことを書くかも知れませんが、コラムを書くことが、主たる収入源であれば、そういった話題は避けると思います。

これについては、賛否両論があるかと思いますが、僕は仕方のないことだ、と思っています。

>のっぽ先生がコメントしづらい内容で、申し訳ありません。

いえいえ。この問題は、現代社会を生きて行くに当たって、かなり重要なことであると、僕は思っています。なので、こうして、それについて考える機会が得られて良かったと思っています。

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この記事へのコメント
岸本葉子さんのコメント
のっぽ先生が、ご紹介くださった記事を拝見しました。帯津先生の時もそうだったのですが、私は自分の中で、一度【素晴らしい人】の括りに入れてしまうと、なかなかその後を検証することなく、過ごしてしまうのですが、この記事のブロガーさんは、とても透徹した目で、物事をご覧になっていらっしゃるところが、すごいと思います。

ただ、私は以前、岸本さんが産經新聞に寄せたコメントを、読んだ記憶があったものですから、ネットで探してみました。
のっぽ先生が、②に書いていらっしゃることが、もし岸本さんのことを、念頭に置いておられることでしたら、当たっているなあ、と思いました。

引用が少し長くなってしまって、申し訳ないのですが、私が下手に要約してしまいますと、誤解を招きかねないので、全文を記載させていただきます。

【被災地の皆さんへ】
エッセイスト・岸本葉子さん 被災地からの言葉受け止める

被災地で過酷な状況にある方に、東京にいる私はどんな言葉を送れるか。自問しています。

地震と津波でかけがえのない人を失い、生活の基盤を破壊された方に、掛ける言葉を持ち得るのか。原発事故で家や土地を、生計の手段やコミュニティーまで奪われた方に、そこで作られた電気を使ってきた人間がものを言うのは、許されないのでは。そう思い、声を出せずにいます。

震災からすぐは、被災地の方々の強さ、勇気、助け合いの精神に頭を垂れるばかりでした。自分が受け取りたいメッセージだけを受け取っていたと、今振り返って思います。計画停電の混乱や放射能汚染の不安で動揺しそうな自分に「被災地の人に恥ずかしくないように行動しなければ」と言い聞かせ、心の支えとしていました。

でも、それは間違っていました。被災地の方の怒り、苦しみ、悔しさ、抗議。弱い自分が聞くのに耐えられないと思ったそれらの声にも、耳を傾けます。私のすべきは、言葉を発することではなく、被災地からのどんな言葉も受け止めることでした。

そこから始めます。そして自分に何ができるかを問い続けます。私の今言える、精いっぱいのことです。(終わり)

私は、岸本さんの沈黙が、単に原発の肯定・容認ではない、と信じたいと思っています。
のっぽ先生がコメントしづらい内容で、申し訳ありません。

2011/09/05(Mon) 23:41 | URL  | カノン #-[ 編集]
僕が新聞にコラムを書いていたら
カノンさん

僕が、新聞にコラムを書いていたら、その新聞社の上層部の意向を窺いながら、コラムを書くと思います。

別に仕事を持っていて、そこからの収入が主であれば、思い切ったことを書くかも知れませんが、コラムを書くことが、主たる収入源であれば、そういった話題は避けると思います。

これについては、賛否両論があるかと思いますが、僕は仕方のないことだ、と思っています。

>のっぽ先生がコメントしづらい内容で、申し訳ありません。

いえいえ。この問題は、現代社会を生きて行くに当たって、かなり重要なことであると、僕は思っています。なので、こうして、それについて考える機会が得られて良かったと思っています。
2011/09/07(Wed) 13:35 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
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