癌との共存を目指しています。
実は、この2,3日、結構、調子がいい。今日も、午後から用事で、車を2時間ほど運転したのだが、気持ち良かった。手術を受けてから、体質が変わったのか、殆ど暑さが気にならない。窓を開けての車の運転(当然、クーラーはつけず)は、すごく気持ちよかった。特に今日の外出は、病院、病そのものと全く関係がなかったこともあって、さらに気が軽かった。

そして、ふと思ったのが、「こういう日々を毎日、送りたい。」であった。

仕事は病状が許せば、そして、お金が無くなれば、また就くつもりだが、何より「普通の生活」を送りたい。

アストラゼネカ社(製薬会社)のパンフレット「こころの道しるべ、がんと向き合うために」の最後のページに「がんになっても希望とあたりまえの生活を」という記載がある。
僕は、このコピーが大好きである。特に後の部分が好きである。

「希望」については、僕は根が楽観的な性格みたいで、統計的な結果とは全く別に、「僕は、必ず治る。」と思っている。自分で言うのもなんだが、そう自然に思える。
僕にとって素晴らしい、感動的だと思えたのは、「あたりまえの生活を」のところであった。手術を終えてから長らく動けない、もしくは動ける範囲の限られた生活を強いられた。何冊かもらったパンフレットの中に、このパンフレットがあり、最後のページに「あたりまえの生活を」と書いてあった。
僕が強く望んだのは何より「あたりまえの生活」だった。3食、食べたい物を食べ、飲みたい時に飲みたい物を飲める。日が高く上り(4月)、暖かい時間帯になったら、近くの公園に散歩に行って、草木を眺める、ぼーっとする。そう、3月以前にしていた生活がしたい、そう思った。とにかく、「あたりまえの生活」がしたい、普通の生活がしたい。

今回は、8月13日以降、ほぼ普通の生活が出来ている。有難いことだ。
出来れば、こんな生活を毎日、続けたい。自分で言うのもなんだが、あたりまえの欲求であり、普通の欲求であると思う。

薬の量を減らすと、害作用は確実に減るだろう。がん細胞に対する効果は、殆ど落ちないか、ちょっと落ちるか、随分、落ちてしまうか、不明である。誰も分からないだろう。がん細胞に対する効果の低下が、僕の寿命に対し、どういう影響を及ぼすのか、これも分からない。
僕の体調が良くなったことで、積極的精神が維持され、がん細胞に対する効果の低下を相殺して余りあるくらい、免疫力が高まるかもしれないし、やはり抗がん作用の低下が結果として僕の寿命を縮めるかもしれない。当然ながら、主治医は、後者を心配しているのだろう。

今日、車を運転しながら、ふと思ったのだが、これは博打であると思う。
抗癌剤を減らすと、

①それまで体調の悪かった4~5日間の体調が回復し、その結果、僕の免疫が賦活され、完治する。完治せずとも、寿命が延びる。
②体調の回復は認められたが、抗がん効果が落ち、がん細胞の増殖を招き、寿命が縮まる。

大雑把に言うと、この2つにまとめられると思う。なお、トントンのラインは、4~5日間×2(2回終わってから、用量もしくは薬の種類が変わると考えた)=8~10日間、元気な期間が短くなるということになるだろう。

要は、「我慢すればするほど、その恩恵が5倍、10倍となって返って来るのか。」ということだろう。残念ながら、間違いなく5倍、10倍になって返って来る、というエビデンスはない。

当初と問題が変わって来たが、「この我慢は、報われるのか?」ということだ。
エビデンスから読み取ることが出来るのは、「生存期間の期待値が数ヶ月延びる。」ということだ。(2回分、用量を減らすだけなら、数ヶ月よりずっと短く、例えば、数日、数週ということになるだろう。)
数日、数週、数ヶ月、生存期間の期待値が延びる、という恩恵のために、僕は抗癌剤の投与を受ける。果たして、この治療は我慢(4,5日、辛い副作用に耐える)に値するものだろうか。

主治医に判断を委ねるか、自分で判断するか。恐らく、主治医もそれほど正確な判断は出来ないだろう。なぜなら、不確実な要素が多過ぎるから。

なら、自分で判断しよう。その方が後悔が少ないだろう。何より、そうすることが自分らしいと思う。



追記(やや正確性に欠ける記述だと思います。気の向いた方、投資に関心のある方あたりに読んで頂けると幸いです。)
書いていてふと思ったのだが、この問題は、株式投資をするに当たって、個別株投資(投資信託みたいに銘柄の選択をプロに任せるのではなく、自分で良いと思う株式を買うこと)か投資信託か、どちらが良いですか、という質問に似ているのではないか、と思う。
この場合、賭ける(投資する)ものが自分の命なのか、お金なのか、という違いがあるが、状況は結構似ていると思う。なお、投資信託は、信託手数料の分だけ損をしてしまうので、僕は不利であると考えている。加えて、僕は、自分で調べて、自分の責任においてする個別株投資が大好きだ。
自分の命を賭ける場合、株式投資のように冷静に判断はできないが、きっと根本的には同じだろう。
企業価値を評価して、時価総額(株価)と比較する。同じように、自分の体の状態を評価して、エビデンスからどうするのが良いのか判断する。
株式投資とがん治療の相違は、株式投資は分散投資をすることでリスクを低減することが出来るが、患者側から見たがん治療は、患者は自分一人であり、今回の賭けが全てである、ということだ。
なお、株式投資において、優秀なファンドマネージャーの(期待される)成績は、21勝19敗くらいらしい。良く分からないものは、どうもそれ位の結果になるようだ。
こうやって別の視点から考えてみても、自分で判断するのが良い、という結論になりそうだ。

【2008/08/14 20:44】 | 自分の体
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こんばんは2
うさみみ
コメントを書き終えたら、この日記がUPされていました。
表現は違うのですが、なんかうさみみのコメントと多少かぶるような(笑)

ちょっと脱線しますが、うさみみは個別株投資はあまりしません。
どの国のどの市場に投資するかということ自体、たとえそれがETFや投信であっても、個別株と同じく、自己責任の自己判断です。

これはそれぞれが投資感が異なるから対象が違うだけで、根本的な部分では似通っているのでしょう。

「投信=人任せ」と考えるのも間違いではないでしょうが、投信も個別株と同様の1つの商品と捉えれば、同じだとうさみみは思います(^^♪


>今回の賭けが全てである

個別株全力投資ですね。。。賭けるといういい方をされてしまうと、コメントがしずらいですね…。
絶対はないという世界では確かに博打ですが、望む結果になるために、リスクを減らすことができることはできるだけやるってことも大切でしょうね。
投資の感覚でしか語れないですが。







こんばんは3
うさみみ
のっぽさんの日記を読んでいると、すごく勉強されてきて、頭のいい人だなって思います。
この様なタイプの方は理路整然と述べられ、隙がなくすごいと思いつつ、時々危うさを感じることがあるのですが、のっぽさんは違いますね(^^♪


>自分で判断しよう。その方が後悔が少ないだろう。何より、そうすることが自分らしいと思う。

理路整然としつつも、柔軟に世界を広げようとされている。。。そんな感じを、日記を読んで感想にもちました。

うさみみは、このブログを読ませていただいて、真に学ばせていただいています(^^♪



コメントの続き
Ito
実は前回のエントリのコメントについて、実際には書かなかった続きがあります。それは、エビデンスに基づく「株式投資」であれば、ある程度のリスクを取った結果、期待値から大きくマイナスに外れても、命までは取られないのだから、それはそれで納得できるだろう(できない人もいそうですけど)。でも医療の場合、エビデンスに基づく「治療」でリスクを取って、それが失敗した場合、自分の生命に関わることを考えると、単純に統計とか期待値などの数字だけではその治療方法に納得できないんじゃないか、ってことでした。

こう考えると、生命に関わる判断は誰がどう下すべきかという話になると思うのですが、のっぽさんのエントリを拝読する限り、もう判断はできているのかなと思います。非常に重い判断だと思うのですが、その判断を下す上でブログが何かの役に立つのなら、それはとてもよいことのような気がします。

ワンダフル・ワールド
カノン
青い澄んだ空に、なたびく白い雲
輝く恵みの朝、暮れゆく神秘の夜
出会うたびに思うんだ
“この世はなんてすばらしいんだろう”って

きょうは文章の背景に、ルイ・アームストロングの“What A Wonderful World”が聴こえてきました。
なんて素敵なんでしょう。

統計重視か実感か、本当に難しいですよね。
私が統計学を勉強していたころ、ちょうどアインシュタインの「人間
の価値は、何よりもその人がどれくらい自分自身から解放されて
いるかということで決まる」という言葉に出会いました。

あまりに自分自身にとらわれて、息苦しい時期でもあったので、
統計上、自分が多くのサンプルの一つであると知ることや、
自分にとらわれずに世界を見るディタッチメントな手法が、潔く感じ
られたりもしました。
自分が多くのデータの一つではあるけれど、かけがえのないたった
一つのデータであると感じること、そのバランス感覚を身につける
ことが大切だと思ったのです。

ただ今回、そのバランスを保つことが、いかに難しいかをかみしめ
ています。
治療を選択する時、のっぽ先生も皆さまも、自分の大事なものを
賭けていらっしゃる。人間の尊厳であったり、自分らしさであったり、
主治医への信頼であったり、家族への思いであったり、「あたりま
えの生活」であったり・・・。

エビデンス重視で診療にあたり、実績をあげてこられた科学者と
しての視点も、積極的精神で選ばれる治療に、よい意味で活かさ
れることを、心から願っています。
いつも、メールみたいに長くなっちゃってスミマセン(笑)。






以心伝心
のっぽ187
うさみみさん

>コメントを書き終えたら、この日記がUPされていました。
表現は違うのですが、なんかうさみみのコメントと多少かぶるような(笑)

いえ、以心伝心とは、まさにこのことだと思います。追記をエントリーに書くべきかどうか、迷ったのですが、書いてよかったです。そして、何より、このタイミングでの前コメント。偶然とは言え、驚きました。

>どの国のどの市場に投資するかということ自体、たとえそれがETFや投信であっても、個別株と同じく、自己責任の自己判断です。

その通りだと思います。

>「投信=人任せ」と考えるのも間違いではないでしょうが、投信も個別株と同様の1つの商品と捉えれば、同じだとうさみみは思います(^^♪

日本国内のことしか頭になく、視野の狭い発言をしてしまいました。
確かに、どの投信を買うか、という判断は、どの銘柄の株式を買うか、という判断と、その過程において、なんら変わりのないものだと思いました。
あと、どの国のどの市場に投資をするか、という判断は、個別銘柄を選ぶのと非常に似ているな、と思いました。

投資については、正直、勉強不足ですね。うさみみさん、御指摘、有難うございます。また、いろいろと教えて下さいね。

>個別株全力投資ですね。。。賭けるといういい方をされてしまうと、コメントがしずらいですね…。
絶対はないという世界では確かに博打ですが、望む結果になるために、リスクを減らすことができることはできるだけやるってことも大切でしょうね。
投資の感覚でしか語れないですが。

投資の感覚でのコメントを求めていました。少なくとも、うさみみさんには、そうです。
命や寿命の問題を他のことと同列に考えるのは、タブーにされていたところがあると思うのですが、良い判断、すなわち、冷静な判断を下すには、違った視点が必要ではないか、と思い、僕も思い切ってエントリーに書きました。
不確実性という点においては、医療と投資は似ていると考えている次第です。

すごくすごく嬉しいです。
のっぽ187
うさみみさん

すごく褒めて戴き、すごくすごく嬉しいです。
表現の仕様がないくらい、嬉しいです。

>理路整然としつつも、柔軟に世界を広げようとされている。。。そんな感じを、日記を読んで感想にもちました。

まあまあ自分でも論理的に物を考えることが出来る方だな、とは思っているのですが、どうもそれだけでは、片手落ちというか、視野が狭くなるな、と思い、なるべく自分の直感に耳を傾けるようにしています。
この部分も評価されると、すごく嬉しいところです。


No title
つる つるこ
私も、治療における過程のすべてが賭けだと思っています。



少しだけ株の売買してるので。。。
ran
先日は最後に嫌なコメ書いてごめんなさい
術後の標準的ケモ一年弱で転移。でも、大きくなってなるスピードが遅いから薬が効いてる。と判断しその後も標準的で
しかし、この春に他にまたまた転移。しかもビックリするほどの大きさに成長
だから、悩みましたよ。実際「打つ手がない状態」ですから
ですからあんなコメになってしましました。

今は、何をやっても「博打」です。
つるこさんと同じです
多分、理論的ではなくとも、薬と副作用と人生と命を天秤にかけそれなりに判断をしてると思います
だた、素人はいろんな美味しい情報にすがりつきたくなるところがあるので専門家の意見は大事ですけどね

例題
のっぽ187
Itoさん

大腸癌の治療薬にアバスチンという薬があります。

アバスチンを付加することで、2~3ヶ月、生存期間の延長が期待されると言います(主治医談)。一方、腸穿孔といって腸が破れて腹膜炎になり死に至り得る重篤な副作用が0.6%で起こるとも言います(外国のデータ)。他、脳梗塞(片麻痺、失語症を引き起こし得る)、肺梗塞(死に至り得る)といった重篤な副作用もあると言います(前の病院の主治医に教えてもらった)。

「この薬、どうしますか、付加しますか。」と言われると、正直、僕は即答出来ません。
ガイドラインに則った判断を主治医にしてもらうか、自分で判断するか。

今回の問題のように、比較がしやすい(それでも僕にとっては難しい問題だった)ことは、何とか自分で判断を下せますが、アバスチン付加の問題のように、結論を出しにくい問題は、少なくとも初回は主治医に判断してもらおうかなと思っています。

とは言え、自分で考えて判断のつくことについては、自分で判断し主治医に申し出るようにしたいと思っています。

願いも届く。
のっぽ187
カノンさん

書いた文章を褒めて頂けるのは本当に嬉しいです。

>なんて素敵なんでしょう。

(こう言われて、)こんなに嬉しいことはありません。

>治療を選択する時、のっぽ先生も皆さまも、自分の大事なものを
賭けていらっしゃる。人間の尊厳であったり、自分らしさであったり、 主治医への信頼であったり、家族への思いであったり、「あたりまえの生活」であったり・・・。

「もともと、ないものだ。」と思って選べば、迷い無く選ぶことが出来るのでしょうけど、やっぱり、「もとは、と言えば、あったものだ。」と思うから、失うことが怖くて、迷ってしまうのでしょう。

>エビデンス重視で診療にあたり、実績をあげてこられた科学者と
しての視点も、積極的精神で選ばれる治療に、よい意味で活かさ
れることを、心から願っています。

有難うございます。
科学的な視点で良い判断が出来、積極的精神で生きることによって得られるという幸運が僕を良い方向に導いてくれることを、自分でいつも祈っている次第です。
最近、祈りが届くという趣旨の本(生きがいの本質、飯田史彦著)を読んでいます。カノンさんの願いは、きっと僕に大きな力を与えてくれていることでしょう。

>いつも、メールみたいに長くなっちゃってスミマセン(笑)。

コメント欄での遣り取りを、僕は結構、重視しています。
メール的なコメント、大々歓迎です。



選ぶことは賭けること。
のっぽ187
つる つるこさん

>私も、治療における過程のすべてが賭けだと思っています。

まさに、その通りだと思います。
主治医の先生に「Aにしますか。Bにしますか。」と言われたとしたら、それは、「Aに賭けますか。それともBに賭けますか。」ということですよね。
もっと言うと、主治医の先生が「Aしますね。」と言われると、「お願いします。」となってしまいがちですが(少なくとも僕はそう)、「お願いします。」ということは、実は「Aに賭けます、私。」ということなんですよね。

天秤にかけている。
のっぽ187
ranさん

>先日は最後に嫌なコメ書いてごめんなさい

いえいえ、全然、気にしていないですよ。
エビデンスという言葉に対する受け入れは医者の間でも、当初(2000年ごろ)は十分ではなく、「うさんくさい。」と思われている節が結構、あったようです。
僕自身は(精神科で、ですが)、エビデンスのみで治療方針を決めることは出来ないと考えていて、エビデンスと患者さんの価値観で治療方針を決めていくのが良いと考えています。

ただ、僕が病を得、患者として、情報に接した際によく思うのが、「分かっていることはあまり多くないんだな。」ということです。

>多分、理論的ではなくとも、薬と副作用と人生と命を天秤にかけそれなりに判断をしてると思います

その通りだと思います。

>ただ、素人はいろんな美味しい情報にすがりつきたくなるところがあるので専門家の意見は大事ですけどね

良い指摘、アドバイス、有難うございます。そういった視点を持って、今後、自分の考えることを客観的に評価できたらいいな、と思います。

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コメント
この記事へのコメント
こんばんは2
コメントを書き終えたら、この日記がUPされていました。
表現は違うのですが、なんかうさみみのコメントと多少かぶるような(笑)

ちょっと脱線しますが、うさみみは個別株投資はあまりしません。
どの国のどの市場に投資するかということ自体、たとえそれがETFや投信であっても、個別株と同じく、自己責任の自己判断です。

これはそれぞれが投資感が異なるから対象が違うだけで、根本的な部分では似通っているのでしょう。

「投信=人任せ」と考えるのも間違いではないでしょうが、投信も個別株と同様の1つの商品と捉えれば、同じだとうさみみは思います(^^♪


>今回の賭けが全てである

個別株全力投資ですね。。。賭けるといういい方をされてしまうと、コメントがしずらいですね…。
絶対はないという世界では確かに博打ですが、望む結果になるために、リスクを減らすことができることはできるだけやるってことも大切でしょうね。
投資の感覚でしか語れないですが。





2008/08/14(Thu) 22:59 | URL  | うさみみ #-[ 編集]
こんばんは3
のっぽさんの日記を読んでいると、すごく勉強されてきて、頭のいい人だなって思います。
この様なタイプの方は理路整然と述べられ、隙がなくすごいと思いつつ、時々危うさを感じることがあるのですが、のっぽさんは違いますね(^^♪


>自分で判断しよう。その方が後悔が少ないだろう。何より、そうすることが自分らしいと思う。

理路整然としつつも、柔軟に世界を広げようとされている。。。そんな感じを、日記を読んで感想にもちました。

うさみみは、このブログを読ませていただいて、真に学ばせていただいています(^^♪

2008/08/14(Thu) 23:11 | URL  | うさみみ #-[ 編集]
コメントの続き
実は前回のエントリのコメントについて、実際には書かなかった続きがあります。それは、エビデンスに基づく「株式投資」であれば、ある程度のリスクを取った結果、期待値から大きくマイナスに外れても、命までは取られないのだから、それはそれで納得できるだろう(できない人もいそうですけど)。でも医療の場合、エビデンスに基づく「治療」でリスクを取って、それが失敗した場合、自分の生命に関わることを考えると、単純に統計とか期待値などの数字だけではその治療方法に納得できないんじゃないか、ってことでした。

こう考えると、生命に関わる判断は誰がどう下すべきかという話になると思うのですが、のっぽさんのエントリを拝読する限り、もう判断はできているのかなと思います。非常に重い判断だと思うのですが、その判断を下す上でブログが何かの役に立つのなら、それはとてもよいことのような気がします。
2008/08/14(Thu) 23:27 | URL  | Ito #ch2f7abI[ 編集]
ワンダフル・ワールド
青い澄んだ空に、なたびく白い雲
輝く恵みの朝、暮れゆく神秘の夜
出会うたびに思うんだ
“この世はなんてすばらしいんだろう”って

きょうは文章の背景に、ルイ・アームストロングの“What A Wonderful World”が聴こえてきました。
なんて素敵なんでしょう。

統計重視か実感か、本当に難しいですよね。
私が統計学を勉強していたころ、ちょうどアインシュタインの「人間
の価値は、何よりもその人がどれくらい自分自身から解放されて
いるかということで決まる」という言葉に出会いました。

あまりに自分自身にとらわれて、息苦しい時期でもあったので、
統計上、自分が多くのサンプルの一つであると知ることや、
自分にとらわれずに世界を見るディタッチメントな手法が、潔く感じ
られたりもしました。
自分が多くのデータの一つではあるけれど、かけがえのないたった
一つのデータであると感じること、そのバランス感覚を身につける
ことが大切だと思ったのです。

ただ今回、そのバランスを保つことが、いかに難しいかをかみしめ
ています。
治療を選択する時、のっぽ先生も皆さまも、自分の大事なものを
賭けていらっしゃる。人間の尊厳であったり、自分らしさであったり、
主治医への信頼であったり、家族への思いであったり、「あたりま
えの生活」であったり・・・。

エビデンス重視で診療にあたり、実績をあげてこられた科学者と
しての視点も、積極的精神で選ばれる治療に、よい意味で活かさ
れることを、心から願っています。
いつも、メールみたいに長くなっちゃってスミマセン(笑)。




2008/08/14(Thu) 23:55 | URL  | カノン #-[ 編集]
以心伝心
うさみみさん

>コメントを書き終えたら、この日記がUPされていました。
表現は違うのですが、なんかうさみみのコメントと多少かぶるような(笑)

いえ、以心伝心とは、まさにこのことだと思います。追記をエントリーに書くべきかどうか、迷ったのですが、書いてよかったです。そして、何より、このタイミングでの前コメント。偶然とは言え、驚きました。

>どの国のどの市場に投資するかということ自体、たとえそれがETFや投信であっても、個別株と同じく、自己責任の自己判断です。

その通りだと思います。

>「投信=人任せ」と考えるのも間違いではないでしょうが、投信も個別株と同様の1つの商品と捉えれば、同じだとうさみみは思います(^^♪

日本国内のことしか頭になく、視野の狭い発言をしてしまいました。
確かに、どの投信を買うか、という判断は、どの銘柄の株式を買うか、という判断と、その過程において、なんら変わりのないものだと思いました。
あと、どの国のどの市場に投資をするか、という判断は、個別銘柄を選ぶのと非常に似ているな、と思いました。

投資については、正直、勉強不足ですね。うさみみさん、御指摘、有難うございます。また、いろいろと教えて下さいね。

>個別株全力投資ですね。。。賭けるといういい方をされてしまうと、コメントがしずらいですね…。
絶対はないという世界では確かに博打ですが、望む結果になるために、リスクを減らすことができることはできるだけやるってことも大切でしょうね。
投資の感覚でしか語れないですが。

投資の感覚でのコメントを求めていました。少なくとも、うさみみさんには、そうです。
命や寿命の問題を他のことと同列に考えるのは、タブーにされていたところがあると思うのですが、良い判断、すなわち、冷静な判断を下すには、違った視点が必要ではないか、と思い、僕も思い切ってエントリーに書きました。
不確実性という点においては、医療と投資は似ていると考えている次第です。
2008/08/15(Fri) 01:30 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
すごくすごく嬉しいです。
うさみみさん

すごく褒めて戴き、すごくすごく嬉しいです。
表現の仕様がないくらい、嬉しいです。

>理路整然としつつも、柔軟に世界を広げようとされている。。。そんな感じを、日記を読んで感想にもちました。

まあまあ自分でも論理的に物を考えることが出来る方だな、とは思っているのですが、どうもそれだけでは、片手落ちというか、視野が狭くなるな、と思い、なるべく自分の直感に耳を傾けるようにしています。
この部分も評価されると、すごく嬉しいところです。
2008/08/15(Fri) 01:40 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
No title
私も、治療における過程のすべてが賭けだと思っています。

2008/08/15(Fri) 07:02 | URL  | つる つるこ #JalddpaA[ 編集]
少しだけ株の売買してるので。。。
先日は最後に嫌なコメ書いてごめんなさい
術後の標準的ケモ一年弱で転移。でも、大きくなってなるスピードが遅いから薬が効いてる。と判断しその後も標準的で
しかし、この春に他にまたまた転移。しかもビックリするほどの大きさに成長
だから、悩みましたよ。実際「打つ手がない状態」ですから
ですからあんなコメになってしましました。

今は、何をやっても「博打」です。
つるこさんと同じです
多分、理論的ではなくとも、薬と副作用と人生と命を天秤にかけそれなりに判断をしてると思います
だた、素人はいろんな美味しい情報にすがりつきたくなるところがあるので専門家の意見は大事ですけどね
2008/08/15(Fri) 11:38 | URL  | ran #LA1CAGAE[ 編集]
例題
Itoさん

大腸癌の治療薬にアバスチンという薬があります。

アバスチンを付加することで、2~3ヶ月、生存期間の延長が期待されると言います(主治医談)。一方、腸穿孔といって腸が破れて腹膜炎になり死に至り得る重篤な副作用が0.6%で起こるとも言います(外国のデータ)。他、脳梗塞(片麻痺、失語症を引き起こし得る)、肺梗塞(死に至り得る)といった重篤な副作用もあると言います(前の病院の主治医に教えてもらった)。

「この薬、どうしますか、付加しますか。」と言われると、正直、僕は即答出来ません。
ガイドラインに則った判断を主治医にしてもらうか、自分で判断するか。

今回の問題のように、比較がしやすい(それでも僕にとっては難しい問題だった)ことは、何とか自分で判断を下せますが、アバスチン付加の問題のように、結論を出しにくい問題は、少なくとも初回は主治医に判断してもらおうかなと思っています。

とは言え、自分で考えて判断のつくことについては、自分で判断し主治医に申し出るようにしたいと思っています。
2008/08/16(Sat) 22:09 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
願いも届く。
カノンさん

書いた文章を褒めて頂けるのは本当に嬉しいです。

>なんて素敵なんでしょう。

(こう言われて、)こんなに嬉しいことはありません。

>治療を選択する時、のっぽ先生も皆さまも、自分の大事なものを
賭けていらっしゃる。人間の尊厳であったり、自分らしさであったり、 主治医への信頼であったり、家族への思いであったり、「あたりまえの生活」であったり・・・。

「もともと、ないものだ。」と思って選べば、迷い無く選ぶことが出来るのでしょうけど、やっぱり、「もとは、と言えば、あったものだ。」と思うから、失うことが怖くて、迷ってしまうのでしょう。

>エビデンス重視で診療にあたり、実績をあげてこられた科学者と
しての視点も、積極的精神で選ばれる治療に、よい意味で活かさ
れることを、心から願っています。

有難うございます。
科学的な視点で良い判断が出来、積極的精神で生きることによって得られるという幸運が僕を良い方向に導いてくれることを、自分でいつも祈っている次第です。
最近、祈りが届くという趣旨の本(生きがいの本質、飯田史彦著)を読んでいます。カノンさんの願いは、きっと僕に大きな力を与えてくれていることでしょう。

>いつも、メールみたいに長くなっちゃってスミマセン(笑)。

コメント欄での遣り取りを、僕は結構、重視しています。
メール的なコメント、大々歓迎です。

2008/08/17(Sun) 00:17 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
選ぶことは賭けること。
つる つるこさん

>私も、治療における過程のすべてが賭けだと思っています。

まさに、その通りだと思います。
主治医の先生に「Aにしますか。Bにしますか。」と言われたとしたら、それは、「Aに賭けますか。それともBに賭けますか。」ということですよね。
もっと言うと、主治医の先生が「Aしますね。」と言われると、「お願いします。」となってしまいがちですが(少なくとも僕はそう)、「お願いします。」ということは、実は「Aに賭けます、私。」ということなんですよね。
2008/08/17(Sun) 00:27 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
天秤にかけている。
ranさん

>先日は最後に嫌なコメ書いてごめんなさい

いえいえ、全然、気にしていないですよ。
エビデンスという言葉に対する受け入れは医者の間でも、当初(2000年ごろ)は十分ではなく、「うさんくさい。」と思われている節が結構、あったようです。
僕自身は(精神科で、ですが)、エビデンスのみで治療方針を決めることは出来ないと考えていて、エビデンスと患者さんの価値観で治療方針を決めていくのが良いと考えています。

ただ、僕が病を得、患者として、情報に接した際によく思うのが、「分かっていることはあまり多くないんだな。」ということです。

>多分、理論的ではなくとも、薬と副作用と人生と命を天秤にかけそれなりに判断をしてると思います

その通りだと思います。

>ただ、素人はいろんな美味しい情報にすがりつきたくなるところがあるので専門家の意見は大事ですけどね

良い指摘、アドバイス、有難うございます。そういった視点を持って、今後、自分の考えることを客観的に評価できたらいいな、と思います。
2008/08/17(Sun) 00:59 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
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