癌との共存を目指しています。
癌患者としての意思決定は、いろいろな情報の中から、「多分、これが正しいのではないか。」というものを拾い上げ、採用することによって、なされる、と思う。

何を正しいと考えるのか、何を基準に正しいと考えるのかは、人それぞれだと思う。

僕も、「全体を通して、この人の言っていることは筋が通っているな。」と思うことで採用したり、実際、目の前にいる人なら、誠意が感じられるかどうかで、採用するかどうかを決めていた。

こんな感じだと、間違った判断をするかも知れないし、だまされてしまうかも知れない。

今のところは、職業としている精神科医としての知識、経験を基に判断をしたり、上記の「筋が通っているか。」「誠意が感じられるか。」を基準に判断している。あと、第六感も時に働く。

明確な答えのないものについて、いい判断をするには、どうしたらいいんだろう、とふと考えた。

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【2011/01/09 22:33】 | 自分の体
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あんぱん父さん
以前、同室の方で医者の前ではわざと痛がったり暗くして心配させてやるんだと言ってた患者さんがいたけど、絶対主治医と信頼関係は出来ないだろうなぁ~と思いましたよ
近頃ではこちらが脳天気にしてると主治医の方から大丈夫と聞いてきます、それってとても嬉しいです。


のっぽ187
あんぱん父さん

改めて考えると、医者も人間なので、感情があります。なので、力の入る、入らないは、どうしても出て来るか、と思います。

人との間で信頼関係を築くには、どうしたらいいか、について、僕は、系統立った教育を受けたことがないのですが、今のところ、「誠意を示す」のがベストではないか、と考えています。

できる努力を尽くせば、納得に救われる
カノン
明確な答えのないものについて、いい判断をするには、どうしたらいいんだろう。
本当に難しい問題ですね。

作家・岸本葉子さんは、40歳で進行した虫垂がんになり、手術後、漢方のクリニックに通って、徹底した食事療法を始めました。
その食事療法にあたって、岸本さんは「確信があるわけではありません。決断したから実行しているだけです」と語り、それは「できる努力を尽くせば、(例え思わしくない結果になっても、やるだけのことは全てやったという)納得に救われる」に繋がっていきます。

のっぽ先生の仰るとおり、人それぞれなのですから、何に納得するかも異なるわけで、たぶん大事なのは、自分が裁量権をもっていることなのではないか、と思います。

これまでの治療において、岐路に立った時、決断していかれる、のっぽ先生に、どうしたら重大な選択をしていけるのか不思議で、私はしつこいくらいに、尋ね続けてきたように思います。
のっぽ先生のご回答は、この記事に書いていらっしゃることと同じで、ブレたことがありません。

つまり、ご自身で納得していらっしゃる基準であり、多くの情報に接して、揺らぐことはあったとしても、気がつくと、拠り所になっている指標のように思えるのですが、いかがでしょうか。


2008年5月以降を思い起こしました。
のっぽ187
カノンさん

>できる努力を尽くせば、納得に救われる

出来る努力を尽くし、「ああ、やるだけの事は、やった。」と心から思うことが出来れば、そうでない時に比べ、かなり多くの、心の平穏を得る事が出来る、と僕も思います。

>たぶん大事なのは、自分が裁量権をもっていることなのではないか、と思います。

重要なポイントだと思います。

自分で決めたことは後悔しないが(厳密に言うと、後悔の程度を少なくすることが出来る、ですね)、人が決めたことに、盲目的に従うと、後悔する(後悔の程度が大きい)と思います。

2008年の抗癌剤治療中、「薬の量を減らしてもらおう。」と思ったのは、まず自覚症状(1日10数回の下痢、むかつき、食欲の低下、全身倦怠感、ちょっと身体を動かしただけで、すぐ疲れてしまう)があったのですが、「これは、何か、おかしい。」という第六感が大きく働きました。

その第六感を検証するに当たって、精神科医としての知識が役に立ちました。1950年代後半、1960年代に出て来た三環系抗うつ薬の至適用量が、2000年代前半になって、「もう少し少ない量でも、同じ位、効くのではないか。副作用を少なくしながら。」といった論文が出ていたのですが、抗癌剤も同様かも知れない、と思いました。そして、それを支持する本やサイトを探し始めました。

あと、研修医時代(僕は当初、内科医になろうと思っていたので、内科医としての研修を受けました)、「お年寄りは、食べられているかどうか、が一番、大事。」と叩き込まれていたので、どう頑張っても、元気な頃の半分位しか自分が食べられなくなっているのを見て、「これは、まずいな。」とも思っていました。

その上で、「筋が通っているか。」「情報源となる人に誠意はあるか。」といった検証を繰り返しました。

「がんに効く生活」については、それを行うことで何かを失うということはないと僕は思うので、その実行は比較的スムーズでした。

○○する、と決断するに当たって、僕は、「そうすることによって、得られるものは何か、失うものは何か。」と考えるのですが、これは、精神科医をしている間に身に付いた考え方です。

僕は、以上のように考えていました。

主治医との信頼関係と納得の度合い
yama0806
のっぽ先生、こんにちは。
今年もよろしくお願いします。

主治医との信頼関係は難しい問題です。

>たぶん大事なのは、自分が裁量権をもっていることなのではないか、と思います。

自分が裁量権を持っていても、治療する側が聞いてくれない場合もあります。
薬を減らすには、「理由付け」がいる。
と姉を担当した医者は言いました。
普通の生活ができなくなりつつあった事が、その理由付けにあたらなかったのでしょうか。
副作用が出たときに、自分の判断でやめていればよかったのでしょうが、普通ならば、自分の意思でやめるということはなかなかできないように思います。

自分が決断する以前に、出会う医者によって、「得られるものと、失うもの」に大きな差ができます。
自分が望む治療について相談ができる医者に出会えるかどうかが、患者側の納得できる気持ちになれるかどうかに繋がると思うのです。

やっぱり信頼関係は大事だと思います。
自分の勉強不足は否めませんが、
今、思うとそんなお医者さまに出会いたかったです。

いい案が思い付かないです。
のっぽ187
yama0806さん

医学部に入る際、筆記試験と面接がありました。医学部を卒業し、国家試験に通ると、医師の免許がもらえます。

現行のシステムで、いい奴(いい子)と悪い奴(悪い子)を振り分けるのは不可能です。

かと言って、代替できるシステムを、僕は思い付かないです。

大学時代を振り返ると、いい奴もいれば、「あまり好きになれないな。」という奴もいました。

こういった状況に対し、僕も、いい案が思い付かないです。

精神科では、良くないと思う医者からは離れるのが得策だと思うのですが、外科の場合、手術をしてもらった先生と、それ以外の先生の場合、手術所見の理解度に差があると思うので、どうしたらいいのかな、と思います。

なお、僕は、親元から離れて生活をしていた時に直腸癌を指摘され、2008年3月に勤めていた所から比較的、近い病院で手術を受けました。その後、実家のある大阪府に戻って来ているので、開腹手術をしてくれた先生と化学療法をしてくれている先生は別です。


癌ダム4G
世の中は日進月歩だし、
何かの発明や発見で、今まで「ダメ」とされていたものが
実は「最良」だったりして、一寸先は本当にわからない時代になりましたから
正しい判断とは「少なくとも現時点では正しい」程度でしかなくなってきているのかも知れませんね。

となると、正しいにこだわる必要はそんなにないのかも?
むしろ「ある時点で正しい判断」に固執しない事
…のほうが重要なのかも知れません。

はっきりしているのはただ一つ。
人類はまだ癌を治す方法を実現させてはいない
という事実を、正面から受け止める事ですね。

…と、僕は思います。


のっぽ187
癌ダム4Gさん

>今まで「ダメ」とされていたものが実は「最良」だったりして、

それはありましたし、今後もあると、思います。

>正しい判断とは「少なくとも現時点では正しい」程度でしかなくなってきているのかも知れませんね。

自然科学系の事については、そうかな、と僕も思っています。

>人類はまだ癌を治す方法を実現させてはいないという事実を

色々なところで(例えば、医療関係者のみ参加できる掲示板とか)、議論されている事なので、ここでは深く立ち入らないのですが、僕は、自分自身について、「結果として、治っていたら、ラッキーだし(現時点で治っているのかどうか確認の仕様がない)、癌が残っているとすれば(その可能性の方が高いと思う)、それを大きくしないようにベストを尽くしたい。」と考えています。

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011/01/10(Mon) 00:15 |   |  #[ 編集]
以前、同室の方で医者の前ではわざと痛がったり暗くして心配させてやるんだと言ってた患者さんがいたけど、絶対主治医と信頼関係は出来ないだろうなぁ~と思いましたよ
近頃ではこちらが脳天気にしてると主治医の方から大丈夫と聞いてきます、それってとても嬉しいです。
2011/01/10(Mon) 18:29 | URL  | あんぱん父さん #-[ 編集]
あんぱん父さん

改めて考えると、医者も人間なので、感情があります。なので、力の入る、入らないは、どうしても出て来るか、と思います。

人との間で信頼関係を築くには、どうしたらいいか、について、僕は、系統立った教育を受けたことがないのですが、今のところ、「誠意を示す」のがベストではないか、と考えています。
2011/01/10(Mon) 19:39 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
できる努力を尽くせば、納得に救われる
明確な答えのないものについて、いい判断をするには、どうしたらいいんだろう。
本当に難しい問題ですね。

作家・岸本葉子さんは、40歳で進行した虫垂がんになり、手術後、漢方のクリニックに通って、徹底した食事療法を始めました。
その食事療法にあたって、岸本さんは「確信があるわけではありません。決断したから実行しているだけです」と語り、それは「できる努力を尽くせば、(例え思わしくない結果になっても、やるだけのことは全てやったという)納得に救われる」に繋がっていきます。

のっぽ先生の仰るとおり、人それぞれなのですから、何に納得するかも異なるわけで、たぶん大事なのは、自分が裁量権をもっていることなのではないか、と思います。

これまでの治療において、岐路に立った時、決断していかれる、のっぽ先生に、どうしたら重大な選択をしていけるのか不思議で、私はしつこいくらいに、尋ね続けてきたように思います。
のっぽ先生のご回答は、この記事に書いていらっしゃることと同じで、ブレたことがありません。

つまり、ご自身で納得していらっしゃる基準であり、多くの情報に接して、揺らぐことはあったとしても、気がつくと、拠り所になっている指標のように思えるのですが、いかがでしょうか。
2011/01/10(Mon) 23:40 | URL  | カノン #-[ 編集]
2008年5月以降を思い起こしました。
カノンさん

>できる努力を尽くせば、納得に救われる

出来る努力を尽くし、「ああ、やるだけの事は、やった。」と心から思うことが出来れば、そうでない時に比べ、かなり多くの、心の平穏を得る事が出来る、と僕も思います。

>たぶん大事なのは、自分が裁量権をもっていることなのではないか、と思います。

重要なポイントだと思います。

自分で決めたことは後悔しないが(厳密に言うと、後悔の程度を少なくすることが出来る、ですね)、人が決めたことに、盲目的に従うと、後悔する(後悔の程度が大きい)と思います。

2008年の抗癌剤治療中、「薬の量を減らしてもらおう。」と思ったのは、まず自覚症状(1日10数回の下痢、むかつき、食欲の低下、全身倦怠感、ちょっと身体を動かしただけで、すぐ疲れてしまう)があったのですが、「これは、何か、おかしい。」という第六感が大きく働きました。

その第六感を検証するに当たって、精神科医としての知識が役に立ちました。1950年代後半、1960年代に出て来た三環系抗うつ薬の至適用量が、2000年代前半になって、「もう少し少ない量でも、同じ位、効くのではないか。副作用を少なくしながら。」といった論文が出ていたのですが、抗癌剤も同様かも知れない、と思いました。そして、それを支持する本やサイトを探し始めました。

あと、研修医時代(僕は当初、内科医になろうと思っていたので、内科医としての研修を受けました)、「お年寄りは、食べられているかどうか、が一番、大事。」と叩き込まれていたので、どう頑張っても、元気な頃の半分位しか自分が食べられなくなっているのを見て、「これは、まずいな。」とも思っていました。

その上で、「筋が通っているか。」「情報源となる人に誠意はあるか。」といった検証を繰り返しました。

「がんに効く生活」については、それを行うことで何かを失うということはないと僕は思うので、その実行は比較的スムーズでした。

○○する、と決断するに当たって、僕は、「そうすることによって、得られるものは何か、失うものは何か。」と考えるのですが、これは、精神科医をしている間に身に付いた考え方です。

僕は、以上のように考えていました。
2011/01/11(Tue) 00:45 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
主治医との信頼関係と納得の度合い
のっぽ先生、こんにちは。
今年もよろしくお願いします。

主治医との信頼関係は難しい問題です。

>たぶん大事なのは、自分が裁量権をもっていることなのではないか、と思います。

自分が裁量権を持っていても、治療する側が聞いてくれない場合もあります。
薬を減らすには、「理由付け」がいる。
と姉を担当した医者は言いました。
普通の生活ができなくなりつつあった事が、その理由付けにあたらなかったのでしょうか。
副作用が出たときに、自分の判断でやめていればよかったのでしょうが、普通ならば、自分の意思でやめるということはなかなかできないように思います。

自分が決断する以前に、出会う医者によって、「得られるものと、失うもの」に大きな差ができます。
自分が望む治療について相談ができる医者に出会えるかどうかが、患者側の納得できる気持ちになれるかどうかに繋がると思うのです。

やっぱり信頼関係は大事だと思います。
自分の勉強不足は否めませんが、
今、思うとそんなお医者さまに出会いたかったです。
2011/01/11(Tue) 19:49 | URL  | yama0806 #-[ 編集]
いい案が思い付かないです。
yama0806さん

医学部に入る際、筆記試験と面接がありました。医学部を卒業し、国家試験に通ると、医師の免許がもらえます。

現行のシステムで、いい奴(いい子)と悪い奴(悪い子)を振り分けるのは不可能です。

かと言って、代替できるシステムを、僕は思い付かないです。

大学時代を振り返ると、いい奴もいれば、「あまり好きになれないな。」という奴もいました。

こういった状況に対し、僕も、いい案が思い付かないです。

精神科では、良くないと思う医者からは離れるのが得策だと思うのですが、外科の場合、手術をしてもらった先生と、それ以外の先生の場合、手術所見の理解度に差があると思うので、どうしたらいいのかな、と思います。

なお、僕は、親元から離れて生活をしていた時に直腸癌を指摘され、2008年3月に勤めていた所から比較的、近い病院で手術を受けました。その後、実家のある大阪府に戻って来ているので、開腹手術をしてくれた先生と化学療法をしてくれている先生は別です。
2011/01/14(Fri) 17:07 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
世の中は日進月歩だし、
何かの発明や発見で、今まで「ダメ」とされていたものが
実は「最良」だったりして、一寸先は本当にわからない時代になりましたから
正しい判断とは「少なくとも現時点では正しい」程度でしかなくなってきているのかも知れませんね。

となると、正しいにこだわる必要はそんなにないのかも?
むしろ「ある時点で正しい判断」に固執しない事
…のほうが重要なのかも知れません。

はっきりしているのはただ一つ。
人類はまだ癌を治す方法を実現させてはいない
という事実を、正面から受け止める事ですね。

…と、僕は思います。
2011/01/15(Sat) 05:58 | URL  | 癌ダム4G #-[ 編集]
癌ダム4Gさん

>今まで「ダメ」とされていたものが実は「最良」だったりして、

それはありましたし、今後もあると、思います。

>正しい判断とは「少なくとも現時点では正しい」程度でしかなくなってきているのかも知れませんね。

自然科学系の事については、そうかな、と僕も思っています。

>人類はまだ癌を治す方法を実現させてはいないという事実を

色々なところで(例えば、医療関係者のみ参加できる掲示板とか)、議論されている事なので、ここでは深く立ち入らないのですが、僕は、自分自身について、「結果として、治っていたら、ラッキーだし(現時点で治っているのかどうか確認の仕様がない)、癌が残っているとすれば(その可能性の方が高いと思う)、それを大きくしないようにベストを尽くしたい。」と考えています。
2011/01/16(Sun) 10:57 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
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