癌との共存を目指しています。
生きがいの本質―私たちは、なぜ生きているのか (PHP文庫)生きがいの本質―私たちは、なぜ生きているのか (PHP文庫)
飯田 史彦

PHP研究所 2001-08
売り上げランキング : 60328
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


前のエントリーで匿名の方からのコメントに答えるべく、「生きがいの本質」を読み返した。(と言っても、数ページだが。)

本には、しおりの代わりにレシートが挟んであり、2008年7月16日(水)と書かれている。今、思い返しても、精神的にも肉体的にも非常に厳しい時期だったと思う。

赤線を引いてあるところと、その前後を抜粋する。

p21より
人として生きる意味
このような仮説を認めるとすれば、人生で「思い通りにならないこと」ほど、実は貴重な価値を持っていることがわかります。その代表は、次の三つです。

①死ぬということ
②病気になったり身体にハンディキャップ(障害)を持つということ
③人間関係のトラブルで苦悩するということ

p27より
私たちは、なぜ生まれてくるのか・・・それは、生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのであり、その機会、つまり「死」や「病気」や「人間関係」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう。

p28より
もう一度、確認しましょう。「思い通りにならないこと」こそが、この物質世界が持つ最高の価値なのではないでしょうか。そして私たちは、「思い通りにならない」という「価値ある現実」から出発して、「思い通りにならない人生」をいかに正しく苦悩しながら生き、ふだんは思い通りにならないからこそ時おり出会うことができる「願いがかなうという喜び」を、いかに正しく味わって感謝するかということを、日々の人間生活の中で学んでいるのではないでしょうか。
それが、この物質世界で人間として生きることの意味であり、人生とは、「思い通りにならない」からこそ価値があるのです。

正直言って、そこまで僕は達観できないのだが(身体に障害があると不便だと感じるし、人間関係の苦悩はできるだけ避けたい)、こういった人生観が「厳しい状況を受け容れる」上で大きく役に立つことは間違いがないと思う。

FC2blog テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

【2010/09/18 02:31】 | 読書
トラックバック(0) |


柴犬
昨日、職場に行って仕事復帰の件伝えてきました。のっぽ先生にアドバイスも頂いてましたので、参考にしつつ希望を伝えました。「家に居たら鬱々とするやろ。出ておいで」と言ってもらえました。ゼローダの副作用どれ位でるか分かりませんが、ぼちぼち頑張ってみます。


のっぽ187
柴犬さん

良かったですね。

副作用は、出たら出た時だと思います。

僕自身、「再発する可能性は高いだろうな。」と思いながら、今、勤めている病院に就職をし、1年2ヶ月、仕事を続けることが出来ました。(2回目の手術を受けてからも、数日、勤務したのですが、受け持っていた患者さんは殆ど手放した状態での勤務でした。)

何とかなると思います。


柴犬
「副作用は出たら出た時」
「何とかなる」
すごく励みになりました。さすが精神科医の先生だなぁと。のっぽ先生の体験談も読んでいて頑張っていこうという気持ちになりました。ありがとうございます(^-^)


のっぽ187
柴犬さん

お役に立てて、良かったです。

柔軟性を保つ
カノン
いつも思うのですが、「精神的にも肉体的にも非常に厳しい時期」に、本を読んで、その内容に心を動かされる感性の豊かさと純粋さが、のっぽ先生のすごいところです。そういう時は、思考が硬直して、何か新しいものを取り入れたり、感動したりすることは、とても難しいと思うのです。

飯田先生の著書は読んだことがないのですが、引用してくださった内容を拝見して、「夜と霧」や「それでも人生にイエスと言う」の著者フランクルが、病気や死について、説いている内容を思い出しました。

富と名声を得た精神科医としてのフランクルの姿しか知らなければ、何となく綺麗事に聞こえてしまいますが、第2次世界大戦中、アウシュビッツやダッハウなど、4つのナチスの強制収容所をたらい回しされて生還したことが、どれほどの奇跡か思いを馳せる時、その言葉の重さが心に響きます。

加賀乙彦著「不幸な国の幸福論」(集英社新書)で、フランクルの思想が、次のように要約されています。

もし運命があなたを苦しめるのなら、その苦しみを引き受けることに、二つとない何かを成し遂げる、たった一度の可能性がある。人間が生きることには、常に、どんな状況にも意味がある。苦しむことにも意味があるのだ。だから、人生に期待するのをやめて、人生から自分が何を期待されているかを考えよう。(引用終わり)

ドイツの詩人ヘルダーリンは、「自分の不幸を足元にするとき、私は一層高く立つ」と記しています。フランクルにしろヘルダーリンにしろ、すばらしく高貴だとは思いますが、私自身は逆境にあって、そんなに立派には生きられないなあ、と思います。

ただ、逆境にあって、硬直してうずくまってしまうであろう時に、のっぽ先生の持っていらっしゃる柔軟性は、きっと大事だ、とひしひしと感じます。


長所で勝負する。
のっぽ187
カノンさん

当時は、藁にもすがる思いでした。

>私自身は逆境にあって、そんなに立派には生きられないなあ、と思います。

全くもって、同感です。

自分で言うのもなんですが、柔軟なところが僕の取り得だと思っています。(興味のないことを勉強していると、すぐに飽きてしまうのは、短所でしょう。)

長所で勝負する方が、「短所をカバーして」という戦略より、いい結果が出せるのではないか、と最近、考えているのですが、その考えに一つのヒントを与えてくれるコメントでした。

ポート抜去
柴犬
度々質問させて頂いてすみません。folfoxを行う際、ポートを右鎖骨下に埋め込んだのですが、治療後は抜去しようと思っています。抜去の際は医療保険適用外なのでしょうか?一度抜去すると再度埋め込みは不可なのですか?またのっぽ先生は留置されたままなのでしょうか?

分かる限りでお答えします。
のっぽ187
柴犬さん

僕は留置したままです。

抜去は、多分、保険が効くと思います。(僕は、研修医をしていた数ヶ月間しか、外科をしていないので、正確には分からないのですが。)

外来での抜糸は、保険が効いたと思うので(これも、正確には分からないです。)、ポートの抜去も、保険が効くのではないか、と考えた次第です。

>一度抜去すると再度埋め込みは不可なのですか?

内科と外科は、研修医時代しか、していないので、その当時の経験から、「こうではないか。」と推測するだけですが。

次回は、左鎖骨下静脈に入れると思います。その次、どうするのかは、もっと分からないのですが、右鎖骨下静脈は、その時点では、修復されている(手を切っても、自然に治るように)と思うので、また右からアプローチするのではないか、と思います。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
昨日、職場に行って仕事復帰の件伝えてきました。のっぽ先生にアドバイスも頂いてましたので、参考にしつつ希望を伝えました。「家に居たら鬱々とするやろ。出ておいで」と言ってもらえました。ゼローダの副作用どれ位でるか分かりませんが、ぼちぼち頑張ってみます。
2010/09/18(Sat) 10:07 | URL  | 柴犬 #-[ 編集]
柴犬さん

良かったですね。

副作用は、出たら出た時だと思います。

僕自身、「再発する可能性は高いだろうな。」と思いながら、今、勤めている病院に就職をし、1年2ヶ月、仕事を続けることが出来ました。(2回目の手術を受けてからも、数日、勤務したのですが、受け持っていた患者さんは殆ど手放した状態での勤務でした。)

何とかなると思います。
2010/09/18(Sat) 17:33 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
「副作用は出たら出た時」
「何とかなる」
すごく励みになりました。さすが精神科医の先生だなぁと。のっぽ先生の体験談も読んでいて頑張っていこうという気持ちになりました。ありがとうございます(^-^)
2010/09/18(Sat) 18:20 | URL  | 柴犬 #-[ 編集]
柴犬さん

お役に立てて、良かったです。
2010/09/19(Sun) 11:00 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
柔軟性を保つ
いつも思うのですが、「精神的にも肉体的にも非常に厳しい時期」に、本を読んで、その内容に心を動かされる感性の豊かさと純粋さが、のっぽ先生のすごいところです。そういう時は、思考が硬直して、何か新しいものを取り入れたり、感動したりすることは、とても難しいと思うのです。

飯田先生の著書は読んだことがないのですが、引用してくださった内容を拝見して、「夜と霧」や「それでも人生にイエスと言う」の著者フランクルが、病気や死について、説いている内容を思い出しました。

富と名声を得た精神科医としてのフランクルの姿しか知らなければ、何となく綺麗事に聞こえてしまいますが、第2次世界大戦中、アウシュビッツやダッハウなど、4つのナチスの強制収容所をたらい回しされて生還したことが、どれほどの奇跡か思いを馳せる時、その言葉の重さが心に響きます。

加賀乙彦著「不幸な国の幸福論」(集英社新書)で、フランクルの思想が、次のように要約されています。

もし運命があなたを苦しめるのなら、その苦しみを引き受けることに、二つとない何かを成し遂げる、たった一度の可能性がある。人間が生きることには、常に、どんな状況にも意味がある。苦しむことにも意味があるのだ。だから、人生に期待するのをやめて、人生から自分が何を期待されているかを考えよう。(引用終わり)

ドイツの詩人ヘルダーリンは、「自分の不幸を足元にするとき、私は一層高く立つ」と記しています。フランクルにしろヘルダーリンにしろ、すばらしく高貴だとは思いますが、私自身は逆境にあって、そんなに立派には生きられないなあ、と思います。

ただ、逆境にあって、硬直してうずくまってしまうであろう時に、のっぽ先生の持っていらっしゃる柔軟性は、きっと大事だ、とひしひしと感じます。
2010/09/21(Tue) 00:53 | URL  | カノン #-[ 編集]
長所で勝負する。
カノンさん

当時は、藁にもすがる思いでした。

>私自身は逆境にあって、そんなに立派には生きられないなあ、と思います。

全くもって、同感です。

自分で言うのもなんですが、柔軟なところが僕の取り得だと思っています。(興味のないことを勉強していると、すぐに飽きてしまうのは、短所でしょう。)

長所で勝負する方が、「短所をカバーして」という戦略より、いい結果が出せるのではないか、と最近、考えているのですが、その考えに一つのヒントを与えてくれるコメントでした。
2010/09/22(Wed) 16:41 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
ポート抜去
度々質問させて頂いてすみません。folfoxを行う際、ポートを右鎖骨下に埋め込んだのですが、治療後は抜去しようと思っています。抜去の際は医療保険適用外なのでしょうか?一度抜去すると再度埋め込みは不可なのですか?またのっぽ先生は留置されたままなのでしょうか?
2010/09/24(Fri) 20:07 | URL  | 柴犬 #-[ 編集]
分かる限りでお答えします。
柴犬さん

僕は留置したままです。

抜去は、多分、保険が効くと思います。(僕は、研修医をしていた数ヶ月間しか、外科をしていないので、正確には分からないのですが。)

外来での抜糸は、保険が効いたと思うので(これも、正確には分からないです。)、ポートの抜去も、保険が効くのではないか、と考えた次第です。

>一度抜去すると再度埋め込みは不可なのですか?

内科と外科は、研修医時代しか、していないので、その当時の経験から、「こうではないか。」と推測するだけですが。

次回は、左鎖骨下静脈に入れると思います。その次、どうするのかは、もっと分からないのですが、右鎖骨下静脈は、その時点では、修復されている(手を切っても、自然に治るように)と思うので、また右からアプローチするのではないか、と思います。
2010/09/24(Fri) 20:37 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック