癌との共存を目指しています。
外は晴れている。朝食を摂り、ぼーっと窓の外に目を遣る。50歳代と思しき女性が木を切っている。草むしりもしているようだ。今日は化学療法2日目。全身倦怠感は軽減しているが、椅子から立とうという気にならない。害作用は今回の減量で多少、軽減しているが、今の状態は「病人の小康状態」である。

10月17日午前10時半現在。
朝食は、調子のいい時の80%摂れている。食欲は、まあまあ、ある。食欲も健康な時の80%くらい。
胃の重さは今はない。
胃のむかつきも今はない。
全身倦怠感すなわち、だるさは感じないが、体を動かそうという気には全くならない。

療養していると考えると、この状態が2,3日続くことは正当化されるかもしれない。しかし、僕の場合、抗がん剤治療はエンドレスで続く見通しである。(休眠状態にある患者さんで、抗がん剤を止めても、癌の増大は見られなかった、という話は今のところ聞いたことはない。)
この状態を良しとするかどうか、迷うところではある。これ以上の減量は、エビデンスの範疇からはずれてしまう、という主治医の意見も一理ある。オキサリプラチンは現在、標準的な投与量の44%の量である。エビデンスは、標準的な投与量の50%まであるようなので、現行の投与量は、主治医としては精一杯の妥協であるとも考えられる。
ただ、僕のための治療なので、最終的な判断は、僕が下すことになるだろう。

7月頃は、化学療法を開始してから丸4日間はPCを立ち上げることさえ出来なかったのだから、かなりの進歩があったと言える。しかし、何を常識的な線であると考えるかで、目指すべきところは違って来る。特にその日、用事がなければ、晴れた日は散歩をしたり、草むしりをしたりしようと思う、それが「健康」であり、私(達)が目指すところの「あるべき姿」ではないのだろうか。

窓の外を見ながら、ふと、そう考えた。

【2008/10/17 10:49】 | 自分の体
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No title
ななこ
ブログ拝見して、お元気そうで良かったです^^v

同じ病気ではないので、抗癌剤治療の辛さは、私にはわかりません。
でも、ブログで拝見しての「痛み」は感じます。
エンドレスで化学治療が続くとの事、私には想像もつかないほど、大変だと思います。

また、その治療方針での、主治医との意見の違いで、最終的には自分の判断したいと思われる気持ち、とても大事とも思います。

「僕のための治療なので、最終的な判断は、僕が下すことになるだろう。」
どんな病気でも、最終的には自分の体なので、自分で判断下すのが一番ベストなのだと、私も思いました。しかし、かなり実際には難しいとは思いますが。

今、私も病気療養中の身ですが・・・
「特にその日、用事がなければ、晴れた日は散歩をしたり、草むしりをしたりしようと思う、それが「健康」であり、私(達)が目指すところの「あるべき姿」ではないのだろうか。」

私もそう在りたいです。
そして、人生をそれなりに楽しみたいと、思っています。
私の病気も多分、「一生物」だと思うので、それなりに共生しながら、うまく付き合って行きたいと思っています。

今日も、のっぽさんの体調が、良い一日でありますように♪


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ORIN
のっぽさんの今回の日記。何故か、ミレーの一連の絵を思い出しました。

身の回りのほんの一瞬の出来事に、ふと感じる(物思う、はっとさせられる、気付くetc.)ときがありますよね。私も、今、そんな感覚に居ます。




病と上手に付き合って行く。
のっぽ187
ななこさん

お返事が遅くなってしまいました。

抗がん剤治療は、僕がイメージしていた物とは、かなり違いましたね。少なくとも僕にとっては、かなりの苦痛を伴います。

体がしんどかったり、気分が悪かったりすると、「これって、何のための治療なんだろう。誰のための治療なのだろう。」と考えてしまいます。今回も、そう考えました。

そして、自分のことは自分で判断を下すのが一番だという結論に至りました。

お互い、病と上手に付き合って行けるといいですね。

ミレーの絵
のっぽ187
ORINさん

>何故か、ミレーの一連の絵を思い出しました。

ミレーの絵を描写したみたいな記述になっていますね。言われて、初めて気付きました。

>身の回りのほんの一瞬の出来事に、ふと感じる(物思う、はっとさせられる、気付くetc.)ときがありますよね。

そういう気付きをこれからも大切にして行きたいと思います。

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コメント
この記事へのコメント
No title
ブログ拝見して、お元気そうで良かったです^^v

同じ病気ではないので、抗癌剤治療の辛さは、私にはわかりません。
でも、ブログで拝見しての「痛み」は感じます。
エンドレスで化学治療が続くとの事、私には想像もつかないほど、大変だと思います。

また、その治療方針での、主治医との意見の違いで、最終的には自分の判断したいと思われる気持ち、とても大事とも思います。

「僕のための治療なので、最終的な判断は、僕が下すことになるだろう。」
どんな病気でも、最終的には自分の体なので、自分で判断下すのが一番ベストなのだと、私も思いました。しかし、かなり実際には難しいとは思いますが。

今、私も病気療養中の身ですが・・・
「特にその日、用事がなければ、晴れた日は散歩をしたり、草むしりをしたりしようと思う、それが「健康」であり、私(達)が目指すところの「あるべき姿」ではないのだろうか。」

私もそう在りたいです。
そして、人生をそれなりに楽しみたいと、思っています。
私の病気も多分、「一生物」だと思うので、それなりに共生しながら、うまく付き合って行きたいと思っています。

今日も、のっぽさんの体調が、良い一日でありますように♪
2008/10/17(Fri) 12:34 | URL  | ななこ #-[ 編集]
No title
のっぽさんの今回の日記。何故か、ミレーの一連の絵を思い出しました。

身の回りのほんの一瞬の出来事に、ふと感じる(物思う、はっとさせられる、気付くetc.)ときがありますよね。私も、今、そんな感覚に居ます。


2008/10/18(Sat) 12:00 | URL  | ORIN #wVhhRmi.[ 編集]
病と上手に付き合って行く。
ななこさん

お返事が遅くなってしまいました。

抗がん剤治療は、僕がイメージしていた物とは、かなり違いましたね。少なくとも僕にとっては、かなりの苦痛を伴います。

体がしんどかったり、気分が悪かったりすると、「これって、何のための治療なんだろう。誰のための治療なのだろう。」と考えてしまいます。今回も、そう考えました。

そして、自分のことは自分で判断を下すのが一番だという結論に至りました。

お互い、病と上手に付き合って行けるといいですね。
2008/10/20(Mon) 22:34 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
ミレーの絵
ORINさん

>何故か、ミレーの一連の絵を思い出しました。

ミレーの絵を描写したみたいな記述になっていますね。言われて、初めて気付きました。

>身の回りのほんの一瞬の出来事に、ふと感じる(物思う、はっとさせられる、気付くetc.)ときがありますよね。

そういう気付きをこれからも大切にして行きたいと思います。
2008/10/20(Mon) 22:40 | URL  | のっぽ187 #-[ 編集]
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