癌との共存を目指しています。
今のところ、平穏(心の平穏)を目指している。心の平穏を第一に考えている。

2013年10月(2回目の再発)以降の経過は良い。

このまま、静かに暮らすか、社会との接触を少し増やすか。

2013年10月までは、割と、利他的な精神を持って、仕事をして来た、と思う。

【2016/05/30 04:50】 | 思ったこと
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たまには下界も・・
アグリ
のっぽ先生へ

読後の感想ですが,大きな肺手術から2年経過し
のっぽ先生の中の生命エネルギー(心身共に)が蓄えられてきたように感じました。


 静かな平穏を目指す山籠もり修行僧が
時には下界に降りて俗世界を体験する事も
修行の一環として良いのではないかと自分は思います。


オリーブ
利他的すなわち自分自身の平穏、となればその方はきっと精神的円熟のいきに達した人かと…。
愛とは概念に過ぎず実は存在しなものだと思います、愛の行為のみが愛と呼べると思うのです。

なので愛がある人の行動はすなわち愛であり利他的でもあるはず。

のっぽさんが発病以来はご自身の病気に集中し、平穏に生きることを目指すのは賢い自己防衛だと思いますし、素晴しい意志の力を感じます。
なかなか取り乱したり精神のバランスを崩し物事を複雑にし、周囲を意図せずに苦しめたりする場合もおおいかと…←これたぶん私(笑)
しかし、のっぽさんはズートご自身のことはご自身で、つまり「自分に頼れ」とブッタの言葉どおりされてきたように思います。(ブログを長く読ませていただいて思っただけですが)
でも、ここへきて、他の人の為にという心が芽生えたのは、今までののっぽさんの有り方からきているご褒美のようにも思います。
字余り(笑) 


身の振り
のっぽ187
アグリさん

了解しました。

最近、少しずつ、元気が出て来た気がします。

今後の事は、もう少し、考えてみます。


のっぽ187
オリーブさん

有難うございます。

2,3日、この事について、考えていました。

まず、自分。それから、他人ですね。

まず、自分が生き延びる、ですね。

癌細胞が、肺に残っている可能性が高い、すなわち、再発する可能性が高い訳ですから、無理せずに、生き延びる事第一で行こう、と思い直しています。


アグリ
のっぽ先生へ

この問題は本当に難しいですよね!

先生の心の奥にあるムズムズ感とうまくお付き合いください



オリーブ
わたし思うのですが、海は深ければ深いほど表面の波は穏やかですよね、人の心も深ければ深いほど表面的には穏やかで波がたたない、すべて飲み込むほどの静けさなのでは…。

それで、もしそういう人格の人が何か自ら行動を起こすとしたらそれは物凄く愛に満ちた行為であり(それが大それたことでなくとも、一見些細なことのようであるけど)愛のある利他的なことなのではないでしょうか、つまり利他的な事をあえてしよう、と身構えなくともその人の行動や言葉ふるまいは利他的と「なる」というような漠然とした自分なりの気持ちを持っています。

思うに、のっぽさんはすでに十分利他的なのではないかということ。
後は対象を広げるほどのご自身の体力と精神力を計るのみのような気がします。


のっぽ187
アグリさん

うまく付き合って行きたいな、と思います。


のっぽ187
オリーブさん

対象を広げる、ですか。

う~ん、そこですね。


オリーブ
こんにちは。再度すみません。

>でも、ここへきて、他の人の為にという心が芽生えたのは、今までののっぽさんの有り方からきているご褒美のようにも思います。

これは私が最初のコメントに書いたことなんですが、実は一番言いたかったことなんです、でもこれだけだと意味が通じないと思いつつ、どう表現していいのかわからなくて、字余りでごまかしました(笑)

のっぽさんはその若さで癌という病に犯され苦しみましたが、でも逆にそのせいで、精神科医という立場で自分の精神を自分でコントロールするすべにさらに磨きをかけたのも事実だと思うのです。
しかも平穏に生活できています。
これ自体が素晴らしいことではありますが…
そのご褒美がなぜ利他的な行動か?と申しますと、

真の意味で利他的になられ行動できたなら、それは実は計り知れない幸福を自分自身にもたらすのではないかという私の自論があります、それはボランテアとは違います。精神的成長をとげた人間が行うことは愛に満ちていると先に述べましたが、実はそれは何よりその人の幸福なのではないかと思うのです。
私自身もう若くないので日々どう生きるかを考える中で、真の幸福とはなにか?人が死ぬまでにいったいどうしたらある程度満足して逝けるのか?などと考えて生きてきました。
まずご褒美をもらえるほど自分がどうなのか?ということはわかりませんが、何かそこに答えがあるような気がしています。やっぱり上手く説明できませんね(笑)


のっぽ187
オリーブさん

素敵なコメント、本当に有難うございます。

>真の幸福とはなにか?人が死ぬまでにいったいどうしたらある程度満足して逝けるのか?などと考えて生きてきました。

重要な課題です。

私も、日々、「幸せとは何か。」を自分に問うています。

他の人に利益をもたらす。それが、自分自身に幸せをもたらす。

そうですね。そう思いながら、2008年3月まで、もしくは、2013年10月まで、仕事をしていました。

今すぐ、答えが出る問題ではないですが、もう少し考えてみたい、と思います。

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一日一食にする。時間が空く。

空いた時間は、寝る位。

何か人の役に立つ事をした方が良いのかも知れない。

【2016/05/29 17:09】 | 日記
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利他的に生きる患者
キノシタ
利他的に生きようとする患者は、予後がよい。

平穏、もしくは、利他
のっぽ187
キノシタさん

そうなんですか。

いい心の在り様が、いい予後を導く、というのは、分かるのですが、どうしたら、「いい心」になれるのでしょうか。

平穏を目指すか、利他を目指すか。

この2つ、相容れないものではないとは思うのですが。

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前の記事、分かりにくくて、すみません。

この記事で、補足したい、と思います。

この本(「生きがいの創造」決定版、飯田史彦著)には、以下のような仮説が書かれています。(p570に書かれている事を私がまとめた。)

素晴らしい環境(何でも思い通りになる世界、生まれて来る前の世界)を捨て、敢えて、「何にも思い通りにならない物質世界(この世)」に生まれて来る。

それには、何らかの必要性があったはずだ。(私のまとめは、ここまで)

そして、それに対し、この本では、こう答えています。(p570~571より抜粋)

私たちは、「思い通りにならない」という価値ある現実の中で、いかに正しく苦悩しながら生き、ふだんは思い通りにならないからこそ時おり出会うことができる「願いがかなうという喜び」を、いかに正しく味わって感謝するかということを、日々の人間生活の中で学んでいるのではないでしょうか。(抜粋終わり)

「ちょっと、それでは、納得出来ない。」そう思い、もう少し読み進めてみました。(p571より抜粋)

私たちは、「強い成長願望を持つ意識体」であり、自分の意志で地球という学校を訪れ、わざと自分自身に「思い通りにならない」という物理的環境を与えながら、自分を磨いているのではないでしょうか。自分から求めて訪ねてきた「思い通りにならない物理的環境」の中で、生まれる前に自分自身で用意しておいた「人生という名の問題集」を解いているというのが、私たち人間の姿なのです。(抜粋終わり)

これで、納得出来ました。少なくとも、初めの仮説の答えになっているな、と思いました。

「思い通りにならないからこそ、価値がある。」100%、そうとは思えないのですが、割といい考え方だな、と思っています。

よろしければ、こちらの記事も参考にして下さい。

【2016/05/22 08:24】 | 読んで良かった本
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仏教では
キノシタ
のっぽ先生。
仏教では生老病死の苦難に立ち向かい、死に向かって生きることが修業であるとしています。思い通りにならないことばかりだから、修行によってより高い人格の人となりうるのだと。
考えてみれば、すべてが思い通りになる人生なんて、返ってつまらないかもしれません。だって考えることも工夫をすることも何も必要が無くなるのですから。
「思い通りにしたい」これも執着でしょう。「もっと生きたい」も。執着を捨てれば”今この時”を、人生をおおらかに生きることができる。


アグリ
のっぽ先生へ
再度詳しく説明して頂き申し訳ありません

>ふだんは思い通りにならないからこそ
>時おり出会うことができる「願いがかなうという喜び」を、
>いかに正しく味わって感謝するかということを・・・

>わざと自分自身に「思い通りにならない」という物理的環境を与えながら、
>自分を磨いているのではないでしょうか

>「思い通りにならないからこそ、価値がある。」
以上の説明は良くわかりました。

●いろいろ考えさせられる文章で
この件でコメントを下書きしましたが書けば書くほど,
自分の中の虚が出てくるような気がしました。

従って,今回はこれで失礼します



のっぽ187
アグリさん

前の記事だけでは、明らかに不十分だった、と思います。

すみません。

この話、難しいですよね。

私の執着
のっぽ187
キノシタさん

「思い通りにしたい。」この執着、私には、多分にあります。

長く生きたい。苦しまずに死にたい。死ぬ前日まで元気に過ごしたい。

執着ですね。

先の事をあれこれ考えず、過去の事をあれこれ悔やまず、そう生きるのが最善なのでしょうね。

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最近は、これを読んでいる。

2008年に読んでから、ずっと、机の下に置いたままにしていた。p569より抜粋。

(五)何をやってもうまく行かない方へ

思い通りにならないからこそ価値がある

(抜粋は、ここまで。)

この一文について、深く考えている。

何をやってもうまく行かない方へ。自分の事だと思う。

思い通りにならないからこそ、(その事には)価値がある。

2008年には、そうは思えなかったが、最近は、「そう考えた方が、幸せに生きて行けるのではないか。」「そう考えた方が幸せに生きて行けるのであれば、この考え方を採用する、でいいのではないか。例え、その考え方が、真実とは、違っていたとしても。」と考える様になった。

自分は、あまり賢いとは思えないのだが、8年間で、少しは進歩したのかも知れない。

5月22日、追記。私の手元にあるのは、「生きがいの創造」決定版、飯田史彦著です。上に紹介している版より古い版です。

【2016/05/18 05:03】 | 読んで良かった本
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もしかしたら・・・
アグリ
のっぽ先生へ

>何をやってもうまく行かない方へ。自分の事だと思う。
>思い通りにならないからこそ、(その事には)価値がある。

●今回の文章は自分には難解でした・・・・
また何度読んでも理解できません(ごめんなさい)

2012年からブログ訪問していますが
のっぽ先生をもの静かな達観したガン先輩というイメージがありました。

ただ今回の記事を読んで,のっぽ先生は本来はイメージと違い凄く熱い熱い情熱家なのかな~と感じました。

自分は勘が鈍い方なので違うかもしれません。
ただそんな風に感じたのでコメント致しました。




返事1
のっぽ187
アグリさん

静かな達観した、そんな風になりたいな、と思っています。2011年頃から、そう思っています。(少しは、そうなっているかな。)

精神科の仕事は、好きでしたが、2013年11月以降、すなわち、2回目の再発をしてから、徐々に興味を失って行きました。

2008年3月に直腸癌が見つかるまでは、自分で言うのもなんですが、情熱的に仕事をしていました。熱く仕事をしていました。

なお、2009年2月(1回目の復帰)以降は、無理しないように心掛けていました。

という事で、アグリさんの洞察は合っている、そして、その洞察は鋭い、と感じました。

返事2
のっぽ187
アグリさん

私が面倒臭がりなので、きちんと説明をしなかった、それが良くなかったんだ、と思います。

次の記事で、よりきちんと、お伝えしたい、と思います。

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