癌との共存を目指しています。
2008年2月(癌と言われる直前)と今を比べて。

減った物。収入。

手放した物。車、携帯電話。

手術で切り取った物。大腸(全摘)、肝臓の一部、右肺の一部。

得た物。時間。

FC2blog テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ

【2013/04/14 15:02】 | 時々読み返す記事
トラックバック(0) |

断捨離
カノン
のっぽ先生、昨日の地震は驚かれたことと思います。ご無事で何よりでした。

今回の記事を拝見いたしまして、やましたひでこさんが提唱している「断捨離」を思い出しました。

断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる

合理的に考えると要らない物でも、愛着のある物を、実際に手放すというのは、とても難しいことです。

手放し難い物(自分の執着で手放せない物)を手放すと、自分にとって一番大切なものが見えてくる、と言いますが、のっぽ先生の場合は、いかがでしたでしょうか。

人に認められたいという感情
のっぽ187
カノンさん

昨日の地震は、はっと目が覚めて、PCの前に座り、震源地の確認、大飯原発が大丈夫かどうかの確認をしました。

僕自身は、何ともなかったです。

人に認められたいという感情を手放す事により(未だ完全に手放せていませんが)、時間的な自由が得られた気がします。


ちろまま
また、遊びにきました。得た物、時間かぁ。なるほど。うまく言えないけど心に残りました。なんでだろ‥、すごく心に残った。参考になりました。ありがとう。


のっぽ187
ちろままさん

そう言って頂けると、僕も、すごく嬉しいです。

この5年間で、それに気付けたのは、自分でも、大きい、と思っています。

管理人のみ閲覧できます
-


コメントを閉じる▲
現在のガン治療の功罪~抗ガン剤治療と免疫治療http://umezawa.blog44.fc2.com/の「神経障害」を読んだ。以下に一部を抜粋する。

>指先のシビレで、
箸を持つこともできない。
ボタンをとめることもできない。
という患者さんも少なからず診てきました。

足の症状では、
足底のシビレや痛みで靴を履いて歩くことができない。
裸足でも歩けない。
熱い砂の上を歩いているように感じる。
剣山の上を歩いているようだ。
などと訴える患者さんもいます。

その辛い症状は多くの場合、
消えることはありません。

標準治療では、
そんな副作用は想定内の当たり前のことであり、
その症状がいくら強く出ても、
それによって、
クスリの量を減らすということも、
ほとんど行なわれないようです。

それを続行する医者は、
「どうせエビデンスどおりに
○○カ月しか生きることができないから・・・」
「亡くなれば消えるから・・・」
と考えているかのように感じます。

僕も抗がん剤治療中は、軽い手足のしびれがあった。時に砂の上を歩いているような感じがしたり、指先に違和感を感じることがあった。僕は、抗がん剤投与中と投与後の2,3日だけしか神経障害の症状は出ず、感覚神経の方の症状だけ出現していた。(箸を持つことが出来ないといった運動神経障害の症状は出なかった。)

いくつか思うところがあるので、列挙したい。

一つは、寿命を取るか、生活の質を取るか、という判断を、赤の他人である医者が決めることは本質的には無理があるということだ。この場合、抗がん剤の量を減らすと、寿命が縮まる(本当は、どうか不明だが、抗がん剤を減らした際のエビデンスはないので、多くの医者は縮まると判断するだろう)が、しびれは少なくなるだろうと、多くの医者は想像するだろう。世の中に流布する考え方は、「手足のしびれは枝葉であり、生きていることが一番大切だ。」と思われるので、「しびれはあるけど、抗がん剤を続けましょう。」ということになろう。

一見、何の無理もない論理であるように見えるが、「わずか数ヶ月の延命のために、そんな辛い思いをしたくない。限られた時間なら、ある程度、心地良く過ごしたい。」という意見と真っ向から対立してしまう。

結局、「期待値数ヶ月の延命のために、辛い思いをする」かどうかの判断は本人にしか出来ないと思う。

あと、「多くの人は、他の人の痛みが分からない。」ということだ。僕が行っている診療も、僕の価値観で、「こうすれば、患者さんや家族にとって一番いいだろう。」と考えて行っている。正直言って、患者さんの立場に100%立っているとは言い難い。腫瘍科の先生方も同様だと思う。「こうすれば、一番いいだろう。」とその先生が考えた治療が、そこでは行われているだろう。

「多くの人は、他の人の痛みが分からない。」だから、「どちらを取るのか、自分で判断する。」という流れになるだろう。もし、積極的精神で生きることが私達にいい結果をもたらしてくれるとすれば、「人は、他の人の痛みを分からない」ものだから、勇気を持って「自分で判断する」というのが、その答えであろう。

最後に「超簡単 お金の運用術」(山崎元著 朝日新書)のあとがきの一部を抜粋したいと思う。

(一)結論が出るものについては勇気を持って優劣を付けて選択し、しかし
(二)努力で改善できないものについてはくよくよとこだわらず、
(三)事前の意思決定としておおむねベストならそれでいいではないか
という本書の基本思想は、お金の運用ばかりでなく、人生全般を快適にするためにも役立つ心の持ち方ではないかと著者は思っています。

FC2blog テーマ:医療・病気・治療 - ジャンル:心と身体

【2009/05/23 06:34】 | 時々読み返す記事
トラックバック(0) |

自分で決断を下す時
ダイスケ
QOLと治療はいつも考えます。

私もその内大きな判断を下す時が来るかもしれません。

辛い選択を選ばないといけない時が来たら自分よりも家族を悲しませそうで怖いですね。

最近、癌なんて簡単に治ってほしいと切に思います。


気の長さ
のっぽ187
ダイスケさん

>QOLと治療はいつも考えます。

この部分は、主治医が考えてくれることはあまりないようなので、僕らで考えざるを得ませんね。

>辛い選択を選ばないといけない時が来たら自分よりも家族を悲しませそうで怖いですね。

患者本人と家族は、微妙に意見が違いますよね。

どうも癌治療は受ける側としては気の長さが要求されるものみたいですね。

No title
あんず
私はタキサン系でシビレが出ました。手は大丈夫だったけど、足の裏がひどくて、「熱い砂の上を歩いてる感じ」はよくわかります。歩けないような痛さではなく、ちりちりと不快なんです。そして感覚がおかしくなり、ころんでねん挫もしました。

主治医に訴えても、わからないんですよね。10が最大の痛みだとしたら、今はどのくらい?って、そんなのわかんないよ~といつも適当に答えてました。今起きてるシビレの辛さと、この痺れがいつかは消えるのかといった不安も大きかったです。(しびれはとても長く後遺症となった)

はじめまして
TT
はじめまして。
先日、下記ブログの先生の講演に行ってきましたが、日本は緩和ケアにおいても世界から後れているようです。

http://blog.livedoor.jp/fumikazutakeda/

除痛薬の使用量が圧倒的に少ないとのことです。
この事実は当然世界中に知られており、そのため、「日本人は人種的に痛みを感じないのではないか」と真顔ではるばる取材に来た記者もいたそうです。
日本では「緩和ケアは終末期にホスピスで」ということになっていますが、こういう考え自体が国際的には異例らしく、欧米では初期から緩和ケアを治療と併用して行った方が、延命率も高いとデータで出ているそうです。
その他、サミット参加国中でがん死亡者が増加しているのは日本だけというデータも紹介されていました。

足の底の違和感
のっぽ187
あんずさん

>手は大丈夫だったけど、足の裏がひどくて、「熱い砂の上を歩いてる感じ」はよくわかります。歩けないような痛さではなく、ちりちりと不快なんです。そして感覚がおかしくなり、ころんでねん挫もしました。

裸足でフローリングの上を歩いていても、「砂の上を歩いている感じ」がしました。僕は、基本的にはスニーカーを履くことが多いので、怪我はしませんでしたが、ヒールの高い靴を履く女性は危ないだろうな、と思います。

主治医は、しびれに関しては、全く分からないようでした。

>今起きてるシビレの辛さと、この痺れがいつかは消えるのかといった不安も大きかったです。(しびれはとても長く後遺症となった)

これ(FOLFOX)を続けると、まずいだろうな、足の裏の違和感は残るだろうな、と何となくですが、当時、思っていました。

初めまして。
のっぽ187
TTさん

初めまして。当ブログへようこそ。

>除痛薬の使用量が圧倒的に少ないとのことです。

僕は1年余り緩和ケアチームの一員として、とある総合病院で勤めていたことがあります。その時、鎮痛薬の使用量が日本は非常に少ないことを知りました。僕が知る限りでも、鎮痛薬の使われ方は少ない、と思います。

>欧米では初期から緩和ケアを治療と併用して行った方が、延命率も高いとデータで出ているそうです。

そもそも「緩和ケア」とは癌治療でのみ行われるものではないと聞いたことがあります。あと、早い時期から緩和ケアをするのは僕も大賛成です。痛みは体力を奪うので、除痛は延命に寄与すると思います。

>その他、サミット参加国中でがん死亡者が増加しているのは日本だけというデータも紹介されていました。

早期発見の問題でしょうか。それとも、生活習慣の変化で癌になる人が増えた、ということでしょうか。癌患者の数の割には、これまで癌について学ぶ機会は僕自身、なかなかありませんでした。癌患者の数に見合った人員配置が、日本でもなされるように、一患者として切に願っています。

欧米との比較
TT
日本だけがん死者が増えている件についてですが、がん検診の普及度のデータも示されていて、日本はお話にならないほど少ないことがわかりました。政府の力の入れ方が違うそうです。
ただ、95年の時点では日本と米国のがん死者動向は似たようなものだったようで、その後、米国が減っていくのに、日本は増えていってしまったとのことですから、検診だけが原因ではなさそうです。

思い付く限り列挙してみました。
のっぽ187
TTさん

日本は、諸外国に比べ、がん検診が十分普及していないのですね。勉強になりました。

検診以外では、食事の西洋化(大腸癌が増えている原因の一つとされている)辺りでしょうか。

あと、他の原因で死なない(いい事なのですが)ことが、癌による死亡率を押し上げているのでしょうか。具体的には、脳血管障害、虚血性心疾患、感染症辺りで早くに亡くなることが少なくなったのでしょうか。

あきらめる医師との関係
TT
よく指摘されていることとしては、日本のがん治療は外科に特化しているという面です。
放射線治療医、化学療法医がさっぱり少ないとのことです。
そのせいなのか、現場では外科手術適応から外れると、「完治しない」とか「生存率が低い」と言って医師があきらめてしまい、患者にもあきらめることをすすめるという事態が横行しているようです。いわゆる「がん難民」問題です。
いったい、どれくらいの医師があきらめるのかは定かではないですが、あきらめたのでは治療成績が上がるはずがないですよね。
また、手術の適応基準も70年代にそれまでの経験に基づいて「再発するから無意味」などと決められたものなのだそうです。
のっぽ187さんも、術前に肝転移がわかっていたら、ひょっとしたら適応から外されていたかも知れません。
この30年間で術後の再発予防法も発展しているわけですから不可解ですね。
その意味で、のっぽ187さんのような立場の人は生き延びて、適応基準の誤りを証明する使命があるのかも知れません。

まずは生き延びることですね。
のっぽ187
TTさん

>放射線治療医、化学療法医がさっぱり少ないとのことです。

放射線科でradiationをしている先生は、外科の先生に比べると明らかに少ないですね。腫瘍内科の先生も少ないです。

>のっぽ187さんも、術前に肝転移がわかっていたら、ひょっとしたら適応から外されていたかも知れません。

手術をしてくれた先生は、積極的に手術をする先生でした。術前から肝転移が分かっていたとすれば、2回に分けて手術が行われていたかも知れませんし、1回の手術で大腸全摘術と肝切除術の両方を行ったかも知れません。

>その意味で、のっぽ187さんのような立場の人は生き延びて、適応基準の誤りを証明する使命があるのかも知れません。

まずは生き延びることですね。生き延びたら、他の患者さんに利益になるようなことが出来ればいいな、と思っています。

コメントを閉じる▲
患者さんに風邪をもらって、10日の晩から、ずっと喉が痛く、辛い日々を送っていた。12日は仕事を休もうかな、と何度か思ったが、外来の予約と入院患者さんの家族と面談する予定が入っていたため、少し辛かったが、行って来た。12日の晩は、実家で夕食を摂り、自分の家に帰って来て、風呂に入って、そのまま、11時間の眠りに就いた。7,8割、元に戻った感じがするので、洗濯物を干し、本を読んだりして今日は過ごしている。

相互リンクしているMY_BESTLIFE http://chibalottevoxy.blog.so-net.ne.jp/ を訪れたら、「あおくんは5/9の朝5:50に天国に旅立ちました。」と書かれていた。ものすごくショックだった。同い年(1972年生まれ)、同性(男性)、同じ種類の癌(大腸癌)、同じステージ(ステージⅣ)と似たところが多く、僕としては、すごく親近感を持っていた。仕事帰りに野球の観戦に行く、という記事を読んで、「ああ、同じ世代の男性だな。」とよく思ったものだった。

僕がブログを始めた当時(2008年7月、8月頃)は、あおくんの方が明らかに元気で、「僕も、あれくらい元気になりたいな。野球、見に行きたいな。」とよく思ったものだった。抗癌剤の効きという点で、僕はとても恵まれていたのだが(たぶん、そうなんだ、と思う。本当のところは、よく分からない。)、癌になること自体が自分の意思に反することなのだから、癌化した細胞に対し、現在、使うことが出来る抗癌剤が効くかどうか、なんてことは、およそ人の力の及ぶところではないと思う。将来、遺伝子の配列についての解明が進み、「この遺伝子があれば、オキサリプラチンが効く。」といったことが明らかになるだろう(だいぶ先のことだろう)が、現時点では、親からもらった遺伝子に従って生きて行くのみだ。

自分の中の多くのものが、外からのものによって規定されているということを改めて感じた。もっと言うと、こうして元気に仕事が出来ているのは、「たまたま」なんだ、と思う。与えられた時間を大事に使いたいな、という思いを一層、強くした。

あおくんのご冥福を心からお祈りしたいと思う。

FC2blog テーマ:医療・病気・治療 - ジャンル:心と身体

【2009/05/13 17:27】 | 時々読み返す記事
トラックバック(0) |

管理人のみ閲覧できます
-


ご冥福をお祈りいたします
カノン
5月11日(月)の朝、更新されたブログで、あおくんが逝ってしまわれたことを知りました。
最期まで、本当に見事だったなあ、と思うのと同時に、痛々しくて、ふと気を緩めると、涙がこみ上げてくるのを、押さえられませんでした。
私でさえ、こんな感じだったので、のっぽ先生やぽみさんがご覧になったら、どんなに大きなショックを受けられることか、と心配していました。

野球を観戦したり、好きなラーメンをご家族で食べ歩きしたり、心の底から、生活を楽しんでいらっしゃるご様子でしたね。今から思うと、いつも真剣勝負のように楽しもうとしていらして、時間とずっと向き合っていたことが、わかるような気がします。

いろいろな面を、私たちに見せてくださいましたが、身をもって示してくれた責任感の強さと、笑って他人を許し続けた懐の深さを、忘れることはない、と思います。

確かに、私たちは外から決められたことが多い存在であり、現在、元気に働いていられるのは「たまたま」であるということは、本当に仰る通りだと思います。私たちに変えられることと、変えられないことは、多くの因子が複雑に関係し合っていて、その時その時に応じて、移ろうものです。だからこそ、のっぽ先生の好きな「ニーバーの祈り」が、一段と心に響くのかもしれません。

   変えられるものを変える勇気と
   変えられないものを受け入れる心の静けさ
   この2つを区別する叡智をわれに与えたまえ

あおくんとご家族に、平安がもたらされますように、心からお祈り申し上げます。

のっぽ先生、風邪どうぞお大事に!

とにかくショックでした。
のっぽ187
カノンさん

とにかくショックでした。そして、驚きました。

2008年7月、8月頃は、明らかに僕の方が全身状態が良くなかったので、「これくらい、元気に出歩けるようになるといいな。」と何度も思ったものでした。

自分が見たり感じたりすることは、全体のごく一部なんだ、と今回、強く思いました。

>変えられるものを変える勇気と 変えられないものを受け入れる心の静けさ、この2つを区別する叡智をわれに与えたまえ

とは言え、変えられるものについては、変えるべく、一つ一つ、こなして行きたいな、と思います。

わからない
あんず
私が乳がんの告知を受けた頃、すでに治療が終わり、とても元気でいつも華やかな話題に満ちていた患者さんのブログを見て、私もいつかこうなれるのかなあと思っていました。あれから4年、なんとあおくんと同じ5月9日に、その先輩患者さん(まだ20代だけど)は天国に旅立ちました。
わからない、、、本当にわからない。そもそもなぜ21歳で乳がんになったのか、彼女だってわからないことだらけだったでしょう。21世紀にもなって、実は人間のこと、なんにもわかってないんだなあと、つくづく思います。インフルエンザしかり。


分からないことだらけ
のっぽ187
あんずさん

>21世紀にもなって、実は人間のこと、なんにもわかってないんだなあと、つくづく思います。

本当に、僕もそう思います。
体調がいいと実感しにくいことですが、私達は非常に際どいところを歩いている、そんな気がします。そして、医療が私達に出来ることは限られている、と今、改めて思いました。

コメントを閉じる▲